そして 冬の足音が

 テレビにクリスマス気分が現れ始めた

 ちょっと待って欲しい。
 こちらはまだ、夏の終わりぐらいの気分でいたのに。

 台本書き そして、稽古突入となり まだ下界というか、上界というか、ともかく世間様との折り合いが付いていない。

 プチ浦島状態である。
 しかも、タイやヒラメと舞い踊ってたワケでもなく、懲役みたいな感じで、書斎に籠もり

 ウンウン言って、やっと出てきたとこなのに。


 とにもかくにも、まだ文字のカタチでしかない芝居を、とりあえず稽古場という空間に起ち上げ

 俳優たちの肉体の中に、出現させる作業に没頭している。

 今回のテーマは
  
 とにかくお芝居。誰が見ても、お芝居、疑う余地のないお芝居
 である。

 演劇 という語感とはちょっと違うところがねらい目である。

 何しろ 人情噺  だからね。

 演劇は、たぶん 人の情け ではなく、人間存在の不条理や葛藤を描くモノであろう。

 そういうのも決して嫌いじゃない というか、そもそもはそいうものを欲して、この道を進み始めた男である。

 でも
 長く演劇をやってきて、演劇以前の というか、演劇の出発点となっていたはずの
 お芝居というべきものが持つ豊穣を、知るに至った。

 それはたぶん、新しい表現が否定して進んできたモノを 多く内包する、古くさいともいえるモノなのであるが。

 今は、それらをむしろ豊穣と感じる、五十歳のわしがいる。

 観つつ、こりゃ何じゃ と考えるような舞台も、悪くはないが

 その前に舞台を眺めつつ、登場人物に共感したり同情したりして

 笑ったり、泣いたりする 楽しみがもっと自然にあったはずで

 この 人情噺 シリーズでは 徹底的にそれを、求めてみようと思うのである。


 思えば
 三十ぐらいの時、そういう芝居の神様みたいな人だった

 三木のり平 さんに出会って、いろいろ興味深い話は聞かされていたが
 まだ私自身の所属するカテゴリーが現代若者小劇場みたいなとこで

 猿之助さんと深く仕事する前でもあったから、伝統芸能的なモノとも遠く離れていたし

 その面白みを、理解できていたとは到底言い難いものであった。

 でも、今となると、のり平 さんが、お前、もっと古い芝居を勉強しなさい

 と言っていた意味がよく分かる。
 お前らが新しがってる実験なんか、その中に全部あるし、先達たちは、とつくにやってるんだから。

 その実験、試行錯誤の成果が、カタチになって残っているのに、それを知ろうとしないことは愚かですよ。

 今、のり平さんに会うことが出来たら、さぞ楽しかろう。

 そしてこの人情噺シリーズも、ぐっとグレードが上がるだろうと思うのである

 せめてもっと聴いておけば良かった

 しかし、ま、そういう後悔で人生の大半は出来上がるのであろう。

 ともあれ
 クリスマス、まだ来るな と叫びつつ

 そういう試みをやっています。


 お陰で様で、厚木公演はもう満席に近いようです。

 座・高円寺は いつもより少し長くやります。
 皆様のご来場を お待ちしています。


 
 
 
 


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