高尾太夫のこと

 紺屋の久蔵は、一目惚れなのである。
 相手は花魁、その道中を観て、惚れたに過ぎない。

 性格なんか分かるはずがない、ひたすら見た目であろう。
 姿形と、こしらえと、最高位の花魁が備えた、優雅な立ち居振る舞いと、
 
 そもそも、原作はそんな噺である。
 で、その花魁に必死で会いに行った結果、そこまで惚れてくれたのか、と逆に惚れ返されて、ついには花魁が嫁入りしに来る、という、ロマンス物語である。

 この舞台では、それをベタにやるワケじゃないが、
 
 一目惚れするほど、美しいヒロインというのははずせないだろう。
 
 で賀来さんにお願いすることになったワケだ。
 今日は最後の稽古場だったのであるが、プロのメイクさんに来て貰って、この舞台における賀来さんのメイクをどうすべきか、しばし時を費やして検討した。
 わしがいつも髪を切って貰いっている、表参道のヘアサロンの高橋さんのご紹介の、腕利きの、ヤスさん。

 で
 賀来さんがそのヤスさんの魔法の手で、華麗な化粧を施されてゆく課程を、間近で見学することになった。
 
 それを、今日はたまたま伴美奈子と、隣り合って、見守っていたのであるが

 目元、鼻筋〜各所、仕上がってゆく度に

 「あら、奇麗ねえ」
 「わあ、ステキねえ」

 と、かつての芸術座の客席に座った、おばさんたちみたいに、口に出しては言い合って見とれたのだった。

 ま、
 今も尚、ファッション誌でモデルを勤める方ですから、驚くことでもいなんだろうが。
 にしても、キレイというのは、こういうことよね、と二人、しみじみ語り合ったのだった。

 そして
 気付いたんだけど、

 女って、普通、嫉妬深いもののはずなのに、
 何故、商業演劇とかを見に来てるおばさんたちは、極めて素直に女優の美を称え、ため息をついて、うっとりするのか。

 おばさんたちは、美しいモノ、奇麗なモノが好きなんだよね。

 それはとても良いことだけど、
 女優というものに対しては、ことさら、うっとり度が増さないか。

 あの女、あんなにキレイで、キーッ、悔しいっ、とかあんま荒れてる気配がないのよね。

 クラスの中の美人に対しては、きっともっと厳しく当たるだろうに。
 なんか相手が女優になると、わりと無条件で、キレイねえ、と喜んでないか。

 このテーマについては、深く、伴と語り合い、追求してみたかったけど、そのうちに賀来さんのメイクが仕上がって、途絶えた。

 やっぱり、キレイねえ、だったけど。

 ついこないだまで、帝劇、細雪の和服姿で、あまたのおばさんに
 キレイねえ

 と、ため息を付かせてきた、賀来さんが、もっと身近な小劇場で、そしてこちらは、洋装で、現れるのである。
 願うことなら、私らの劇場でも

 キレイねえ という、あのため息混じりの声をしかと聞きたいモノであると、思う。
 
 そして何故に、おばさんたちは、それを声に出して言い合わなくては気が済まぬのか、
 その謎も解明してみたいと思う。

  
 
 

  
 

 


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