とある違和感
公演とはあんまり関係ないが、最近バスに乗っていて思う。
小学生がバスを降りるときに、ありがとうございました。
と大声を張り上げる。
決して、悪いことじゃないけど、なんか違和感を感じるのはワシだけか。
電車じゃやらない、改札出るときに、駅員さんに、ありがとう、なんて言ったりもしてないし。
バス限定の不思議な光景。
あれは、誰かが指導してるのかね。バスの運転手さんに感謝しましょうね、と。
他の地域でもそうなんだろうか。
重ねるけど、悪いことじゃない。
でも、聞く度に、爽やかと言うより微かな違和感が残る。
たぶんそこに、なんか、妙な偏りがあるからだろう。
なんでバスだけ、という。
たとえて言うなら、ラーメン屋で、食い終わったどんぶりを客たちがせっせと、カウンターに戻している様子を、眺める違和感に似ている。
これも最近やたらに見る光景。
それも、なぜかラーメン屋限定で若者の風習。
自称ラーメン通の、上土井なんか、食い終わったら、どんぶりに合掌一礼の後、奉納するかの如く、捧げ上げてカウンターに戻している。
でも、他の飲食店ではやらない。居酒屋の宴会で、彼がせっせと皿やどんぶりを、片付けている姿なんかみたことないし。
なんでラーメンだけ、である。
たぶん素晴らしき、麗しき、ラーメン通だからなんだろう。
だとすれば、小学生たちはバス通なのか。
バス通学ではあろうがな。
いや、くだらん洒落を言いたいワケじゃない。
そんなこんなで、ワシには、違和感が残り、ラーメン屋でも意固地になって、ぜったいにカウンター返しはしない。
そんなこと店員さんの仕事でいいでしょ。
最近のラーメンて、一杯、千円とか平気でするんですからね。
安くて旨くて、お店も忙しくて大変そうだったりして、自発的にそうしたい気持ちになったら、するけどさ。
店によっては、カウンターに自分で戻せ、とかわざわざ書いて張り出しいるところまである。
こういうとこには、もう行かなくていいかなとさえ思う。
いくら旨くても、な。
ラーメンをズズっと啜って、一気に食い終わって、ぷはーとなって、どんぶりをトンと置いて、立ち去る。
それがラーメン屋の正しい光景だろう。
拝まれたいのか、君たちは。
バスの運転手さんは、どう思ってるんだろうか。
あの、ありがとうございました、を聞いて、嬉しいんだろうか。
そりゃ、なんか特別なことでもあって、その時に、心から言われたら嬉しいだろうけど、あれはどう見ても、オートマチックな響きだからね。
オレなら、いいよ、そんなの言わなくて、と思う。
時間通りに運行して、安全に、そして少しでも快適に、乗客が目的地にたどり着く。
淡々とした、その営みに、自分の仕事があると信じ、そこにやり甲斐をみつけたい。
正しく運行していて当然、という厳しい世界。
遅れたり事故ったりした時だけ目立つ。
あとは目立たぬことこそ、手柄。
そりゃ大変な営みだがな。
そう思って、日々運転しているときに、なんかとってつけたみたいな、
子供たちの、ありがとうござました、を言われたら、
どうだろうな。
実は、今回の舞台では、そういうことをちょっと考えていた。
職人の喜びって、何だろう、ってね。
芸術家じゃなくて、職人てヤツ。
名を売らず、仕事を売るって、簡単そうで、難しいことですよね。
でも、それがカッコイイ。
当たり前のことだから、礼なんか言われなくていい、むしろ、
バスは黙って乗って、降りてってくれ、
ラーメンは黙って食って、そのまま立ち去ってくれ、
せいぜい、ごっそさん、というつぶやきが聞こえてくれば。
拝まれたら、終わりだ。
っていう境地もあるはず。
ファーストクラスのおもてなしや、高級レスンランのサービスなんかしないんだがら。
でも、大事なことだけは、ちゃんと守ってる、という誇りとともにな。
こうやたかお
いよいよ、今日、明日と、明後日までです。
今日の、お昼と、夜、重点的にお待ちしています。