いいね、に思う。
私もフェイスブックをやっている。
で、いいね、と戯れている。
とりあえず、読みましたよ、見てますよ、というメッセージを友人たちに届けるのに、まことに便利。
ボタンを押すだけだからな。
フェイスブックを知らぬ人には、何のことやらだろうけど。
しかし、近年の流行語とか大切なキーワードのひとつであろうよ。
いいね。
皆そう思ってるらしく、私のフェイスブックの書き込みも、いいね、の洪水である。
1個の発言に、50人の人が、いいね、と言っています。
なんて記録されている。
いいね、いいね、いいね、いいね、いいね、いいね、いいね……
状態。
そりゃ、クソだね、とか、馬鹿だね、死ぬ、とかでは、不快だろうから、
いいね、
でいいけど。
んで、このとにかくスマイル、ハーイ、グッド、みたいな感じが極めてアメリカ的だなあ、と感心もする。
これが七十年代安保世代とか、アングラ演劇世代のように、誰かと会うときは、かならず相手を否定することから入り、烈しく批判し合うことが、挨拶代わり、みたいなことだと、
フェイスブックは、さぞ忌まわしい場所になるだろうよ。
というか、2ちゃんねるが、そうだろうが。
あれは匿名で常に正体不明なので、卑怯極まりなく、アングラ世代の、潔さには到底比べられぬものだ。
アングラ世代は、テッテ的に、人を攻撃し、その毒で多くの若い才能が演劇から離れたのみならず、攻撃した人も、やがて自分の毒でやられて、具合悪くなっていったという、壮絶な闘いの歴史を持つ。
有る意味、あっ晴れだけど、ちと辛い。
連合赤軍と、よく似た気配だ。
それは若く未熟なカルト的集団が、激烈に突き進めば突き進むほど、迷い込みがちな闇なのだろう、きっと。
だからほら、この世代の演劇人、極めて生き残りが少ないでしょ。
特につかさん世代は、空洞化している。
翻って
そういう虚しい闘いをしなかった、野田秀樹以降の小劇場世代の演劇人の分厚さを見てよ。
わしらは、多分に気分は、いいねだった。
それはともかく。
ただ、このフェイスブック、気楽な日常使いにはいいけど
たとえば
『今日は憂鬱で、死にたい気分』
なんて書き込みにも、つい習慣で、『読んだよ』メッセージとして『いいね』ボタンを押してしまうようなことも、ありがちだ。
そこはぜひとも『よくないね』と言いたいところけど、
その場合は、そう書き込む必要があり、ボタン1個、押すだけじゃ済まなくなるのだ。
ちと面倒くさい。
だから、反応するのもなるべく、いいね、で済む場合に留めておきたくなる。
だから、当然のこと、コミュニケーションとしては、はなはだ浅い。少なくとも私にとってはな。
ああ……
朝から考察するのには、面倒なことだった。
これ以上は私の手に余るのでもうやめる。
昨日は明治大学で昨年に続いて、2度目の『シェイクスピアの特別講義』
いいね、世代の若者たちに、いいね、いいね、だけじゃ済まない関係を結ぶために、そしてその、面倒な人間関係に挫けない精神を得るために
演劇に触れなさいと、講義してきた。
アングラはわしにも無理だったけど、それにしても今は何でもかんでも
いいね、で済ませ過ぎだろう。
いいね。