サンデル先生、どうですか

 もっと人間に執着しろ  つかこうへいさんのメッセージである。
 今回の芝居は、その言葉がキーワード。

 国でも民族でも、家族でもなく、人間に。

 何しろ、思い合う、男女こそが、国です。というのが。つかさんの思想。
 それは在日として、日本に生まれて、日本を代表する劇作家になった、つかさんの究極の到達点だったのだと、今更、思う。

 そんなこと考えつつ、日々、稽古してるわけだが

 そんななかで、オウムの逃亡者が捕まった。
 まだ詳細が明かされてないから、ここから先に記すことは、三文芝居書きの妄想なので、あしからず。

 元信者をかくまった男性も逮捕された。
 犯人をかくまったからだ。

 男性が彼女と知り合ったのは2年前、その時、彼女の正体は知らなかったと報道では伝えられた。

 後に、真相を告白されたが、すでにふたりは暮らし始めており、そのささやかな、かどうかは知らぬが、とにかく新生活を捨てることが出来ず、秘密を抱えたまま、ふたり、寄り添うようにかどうかは知らぬが、とにかく市民に紛れて、生活していた。

 でも犯人と知っていて、匿ったから、しかも正式に入籍してるわけでもないらしいから、罪は罪である。

 法律上は罪。しかし、これ人間として、罪か。

 元信者に罪があるのは明白だ。彼女も、それを認め、後悔してるという。
 新生活の中で、洗脳も解けているようだ。そして捕まってむしろ、ホッとしているというという。

 だから、捕まって良かったんだけど。
 
 その素性を隠した新生活の実態はまだ分からんから、今後の報道を待つしかないが、

 本名で顔さえ晒して生きていたオウムの頃と、名を隠し別人として介護の仕事などやりつつ生きていた、ここ数年と。

 彼女の真実は、どこにあるのだろうと、思うのである。
 そして、逮捕されるまでの数年に、彼女のなかで起きたことを、詳しく知りたいと思うのは私だけか。

 ついでに言えば、その暮らしの中で、真の人間のあるべき姿に気づいていのではないかと、思うのは私だけか。

 もう少し時間があれば、その男性に付き添われて自首するときが来たのではないかと、思いたい、願いたいと思うのは私だけか。

 死刑に対しては、被害者の許せないという気持ちに、最大限に寄り添う努力をした上で、それでも反対の立場をとろうと『首斬り朝右衛門』を創ったときに、決めた私である。

 それは作家として、人間の可能性を信じ続けることを、信条とするという決意でもある。

 人間は変わってゆく。
 非情な殺人者も、それをぜったい許せぬという被害者も、私はそう信じる。

 そんな大事なことに、明確な決意も持たず、今までやってきてたことを、坂手クンには叱られそうだけど。

 この出来事。
 サンデル先生なら、何というのか。
 彼をどう裁くべきなんだ。

 というか、それぞれの立場で、意見は変わることだよな。
 警察は捕まえなくちゃイカンし、裁判官は裁かなきゃならん。
 
 作家は勝手に夢を見る。
 もっと人間に執着せえ、という大先輩の遺言に、今一度耳を傾けながら。

 
 
 


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