あのねえ、諸君!
今回は、劇団新感線 の真似でしたね、とか。
マキノノゾミさんと、同じ曲使ってましたね、とか。
さらには、RUPの影響大ですね、とか。
それ違うからね。
ま、多くの方は、30年前のこととか、知ったこっちゃないだろうから、仕方ないけど、
私が今回、真似してるのは、つかこうへい ですからね。
もし何かに似てたとしたら、それも、きっと、というか、モロに、つかこうへいの影響を受けてるんですからね。
それぐらい演劇のスタイルに、大きな影響を残した人なんですよ。
今回の試みが、そういう演劇史における、つかこうへいというアーティストの再認識に何かの影響を与えることが出来たら、私としても心から嬉しい。
つかこうへい、とほぼ重なり合いつつも、別の系統として、大きな成果をあげた、アンダーグラウンド演劇は、脱シアターが大テーマだった。
劇場破壊が、究極のターゲットだったりした。
一方、アングラと擦りつつも、独自の世界を打ち立てた、つかこうへいは、
確信的、劇場第一主義者だ。
それは必ずしも、立派な劇場ではなく、たとえば高田馬場にあった、客席百ほどのミニシアター、東芸劇場にせよ、
お洒落なパルコ劇場にせよ、
舞台と客席があって、照明がパーッと光り、音がドーンと鳴る、劇場という空間を愛し、そこで何が出来るかを考え続けた人だ。
つかにとっては、劇場そのものが、舞台装置であった。
そしてそこで一番輝くモノとは何か、見せる役者とは誰か。最も美しく響く言葉は何かを模索したのだ。
そして
破壊や逸脱をテーマにする、アングラについて行けなかった僕たちの、希望となった。
僕たちにとって、劇場は、幼子にとっての砂場のような遊び場だったから。
僕らは必死に、つかこうへいから、その遊び方を学んだんだ。
敢えて、僕らといっておく。
実は、それから35年も時を経て、私たちは、つかこうへいの知らなかった、劇場の使い方も知っている。
叫ばずに呟くような、新しい演技法の面白さも、知った。
だから今回初めて、扉座を観たという人に、言っておきたいのは、
現在の私らが、こういうことを毎回やってるわけじゃなくて、むしろ、
今回のスタイルは、我々にとっても特殊な試みなんだということだ。
ただ演劇というものを考えた時、その原点に、つかの世界が確かにある。
何を面白いと思って、たとえば私が、芝居というモノを創るようになったか、
そのアンサーは、つかこうへいの世界にある。
そして、そういう人間が、かなりの数、今、演劇界でそれぞれの活動を展開しているということだ。
井上ひさし先生は偉大だ。私は心から尊敬する。
でも、つかさんほど、演劇をやる人間を生んだ、演劇人は珍しいんじゃないか。
今回の舞台でも、ごく若い人が、誰かに連れて来られて、
エンゲキ、チューヤバイ。オレ、やりたい。
みたいなことうわごとのように言って帰って行ったらしい。
今も尚、人間の心を揺さぶり、人生を変えさせる、そのチカラが、つかこうへいにある、ということだ。
明日のマチネを乗り切れば、短いけど、ちょっとピットイン。
乗り越えろ、オッサンたち、とエールを送ってくだされ。
