明日から

 『LOVE LOVE LOVE R36』

 の前売りが始まります。
 年末の新宿での公演です。

 さぞ、街も盛り上がっている、というかザワついていることでしょう。
 何かと予定の立ちにくい時期かと思いますが、
 客席数に限りのある劇場なので、ご予約はお早めに。


 シアター・トップスです。
 『ユタカの月』をやった劇場です。

 でも、あれは私のホンではなかったので、
 個人的に
 本当に久しぶりにトップスで、芝居をやります。
 
 かれこれ20年数年ぶりぐらいなんじゃないかしら。

 むかーし、
 久世龍之介さんがやってた『ED企画』って劇団があって、
 西山水木さんとか、大島容子さんとか、青年座系の役者達がやってた小劇団なんだが、

 そこに生まれて初めて、人から依頼を受けて、台本を書き下ろした。
 その公演が、当時開場して間もない、トップスだった。

 前座バンドが、がんばるって話だったんだけど。

 あまりに古く懐かしすぎる話で、
 この話題に
 付いてこられる人は、ほとんどいないと思われるが、

 まあ、私のルーツの一つなんで、我慢してくれ。


 この時、頂いた原稿料が、私が初めて芝居書いて貰ったお金であった。
 かなり少額だったと記憶するが、
 それでも、

 芝居書いてお金頂けるなんて、夢のようだったナ。

 実はこの時、音楽監督してた人が、
 作詞家の森雪之丞さんが当時やってたバンドメンバーで、
 
 その芝居書きの取材のためにと、バンドの練習風景を見せて頂いたことがあった。

 このバント、何かセクシーな女性ダンサーも参加しているという、いかにも当時、バブル期チックなビジュアル重視のチームだったんだけど、

 そのダンサーさんたちに、振り付けをしていたのが、

 まだ一般的には、無名だった
 ラッキイ池田氏なのだった。
 
 その練習風景を見て、
 ワシは呆れたモノだった。

 何じゃ、この小さくてケッタイな、もみあげアンちゃんは、と思ったモノだ。

 今思えば、その頃から、ラッキィさんはすでに、独創的、唯我独尊の境地にいたと思うけど、

 そりゃ、初めてあの踊り見たら、
 ひたすら奇異に映るわな。

 それに
 こっちは、まだ下北沢に一人暮らしする前で、
 中央林間の実家住まいの頃だからな。

 今の六角、当時の山地クンと、パチンコに行くのに、駅前で待ち合わせしていて、
 ママチャリに乗って、当時の普段着で、行ったら、

 こんなにダサイ人と一緒に歩くのは、
 嫌だと、
 はっきり言われた、我が身であった。

 そんなヤツが、
 六本木辺りのディスコで毎晩踊ってた、
 雪之丞さんや、ラッキイさんたちが遊ぶように陽気にクリエイトしてる姿を見て、

 その新しさ、面白さを理解するのは無理な話だったと思う。

 ところが、
 そんなラッキイさんと今、一緒に、いろいろやってるんだから、ご縁というのは不思議なモノです。

 雪之丞さんとも、その後、何度か接点が生まれ、芝居を見に来て頂いたりしたのであった。

 
 そんな思い出深い、トップスである。


 最近、あちこちに、良いカフェが出来ている。
 スタバとかも、居心地良いし、

 でも、芝居関係の打ち合わせというと、
 なんかトップスになっている。

 行くと必ず、業界関係が誰かいて、同じように何か打ち合わせしているんだけど。

 そしてそれが、あんなビルになる前の、民家みたいな建物だった頃から、ずーっと続いているんだから凄いことだと思う。

 わしの人生も、あそこでいろんな事が決まった。
 劇団の重大決定もあそこでまとまったりしている。


 たぶん、他の演劇人にとってもそうだと思う。

 今、芝居者の溜まり場って、どこだと言われたら、
 トップスだ
 と言って、間違いないのではないかしら。

 


 

   
 
 
 
 
 


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