天下茶屋のこと 少しネタバラし
歌舞伎の演目だけど、我々の舞台は、時代劇にはなっていない。
宣伝で、やたら殺陣とかアクションとか言ってるけど、
それはこの物語の、中心人物たちの仕事である。
彼らは、悪役、斬られ役を専門にする人たちだ。
悪役商会とか、古くはピラニア軍団とか。
そういうチームのイメージ。
誰がそれなのかは、各種情報から類推して下さい。
こんな時に、よりによって、扉座一の悪党顔の犬飼淳治が不在なのである。
まあ、独眼竜でも、悪党顔が求められたのでここは仕方ない。
ともあれ
そんな斬られ役の彼らが、仇討ちに向かう。
その顛末が描かれるのである。
六角演じる、端敵は、歌舞伎の元右衛門と同じく、最初はその仇討ちをサポートする立場にいながら、いつの間にか、妨害する立場になっているという、悪人である。
彼らが必死に取り組んでいるのは、いったいどんな仇討ちなのか、そこが、人情噺に書き換えたヘソである。
で、
普段の扉座作品なら、ずーっとその仇討ちが成し遂げられる課程を、悪役たちが頑張る姿をメインにして感動的に描いていくんだが、
この舞台では、敢えて、その裏切り者、妨害者をメインにして描くのである。
そこが、歌舞伎の天下茶屋の面白さだと思うので、我々の舞台でも追求している。
物語の軸のズラしな。
これは作家としてのチャレンジ。
んで
その端敵を六角が演じる。
この端敵は、卑怯極まりなく、デタラメで、底意地悪く、得体が知れないのが大事。
悪というのものが、純粋に悪であるというのは、とっても難しいものだ。
うかつにしてると、それはたちまち正義に化ける。
ヒトラーだって、正義を名乗って登場したんだから。
ニューヨークのツインタワーへの突撃も、やった側は聖戦と呼んでいる。
でも
この舞台は、そういう悪じゃなくて、もっと明確に悪くなくちゃ面白くない。
相対としての悪というか、
悪と正義の入れ代わりは『新羅生門』とかで、もうサンザンやって来てるから。
今回は、どこから見てもわるーいヤツ を登場させたかった。
そこは今回、六角の勝負どころであると思っている。
一見、気楽にやってるように見せつつ、にんげんのある本質を垣間見せて、背筋をヒンヤリさせる、みたいな芝居を求めている。
いつも通り、淡々と稽古に来て、へらへらしてやってるメガネのオッサンも、きっとそこは分かってて、勝負かけて来るはず。
ま、全ステージはムリでも、調子の良い時には……きっと、たぶん…
全部ちゃんとやりなさいとは言っておくが。
難しいことには違いない。
悪だからって、舞台すべてがクラーくイヤーな感じになってはイカンと思うのである。
歌舞伎の天下茶屋がそうだからね。
悪いことばっか、見せられ続けるのに、なぜか楽しい。
その舞台では
陰湿でエグイことがかなり展開されるんだけど、少なくとも私が観た、三代、四代のエンノスケの舞台では
そんな悪事をする、悪党が極めてチャーミングに見えてしまうという不思議が生まれていた。
それは芸のチカラか、役者の器量か。
ともあれ、今回の六角にはそんな課題が課せられているのである。
でありつつ
あくまでも、本筋は仇討ちである。
仇討ちというのものは、あまたの苦難を乗り越えて、成し遂げられるものである。
そこは感動的に描かなきゃ芝居にならない。
この舞台でも、そこは踏襲する。
そして最後に、
久しぶりにドタバタをやる。
それは歌舞伎の舞台の本歌取りというか、むしろ真摯な精神の継承である。
猿之助演出の歌舞伎の舞台では、端敵天下茶屋の、端敵が追いつめられ殺されるシーンは、突然徹底したドタバタになる。
舞台の上で、転げ回り、アドリブのし放題となり
ついには客席にまで、逃げ回り、弁当を食べたりする。
私は初めてコレをみた時、こんなのアリかとショックを受けた。
そしてドリフターズの真似じゃないか、と。
しかしよくよく聞けば、実はドリフが真似をしていたんだと。
全員集合の舞台セットって金井大道具という歌舞伎の大道具会社が担当していて
よく、いかりやさんから、あの歌舞伎の仕掛けみたいなのやろうとか、言われていたんだそうな。
歌舞伎がいかに、アバンギャルドであるかという証である。
なのでぜひ、今回、我らの天下茶屋でも、
ドタバタシーンを取り入れたかった、
というかドタバタがなきゃ、天下茶屋ではないと私は思っている。
で五十のオッサン、オバサンたちが、目下必死にドタバタに取り組んでいる。
ここらもぜひ楽しみにして頂きたい。
ということで
事前レクチャー、その? 終わり。
チケットご予約がまだの人は、急いで下さいねっ。