こくまろ の お芝居
今日、座・高円寺 で舞台稽古をしていて
つまり私は、こくまろ の お芝居 を創ろうとしているのだなあ、と思った。
こくまろは分かるだろう。
お芝居は おしばい 演劇という言い方もあるし、芝居 と言い捨てもするのだけど
今回やりたいのは、お芝居 なんだな。
ちなみに、つか版忠臣蔵 は演劇って感じ。
影武者独眼竜 は 舞台 かな。
お芝居って、昔ながらで、玄人がお客さんに楽しんで頂くためにやってる、という感じが 私はする。
良い場面で 思わず拍手がしたくなるというか。
これが、虚構だ、舞台のうえでのお話だと、了解し合って、その仮想世界を楽しむというか。
演劇だと、観客を打ちのめしてやろう という野心とか、作品で問題提起をするぞ、みたいな戦闘的な気分になるし。
お 抜きの 芝居は、これがもう好きで好きで、半分は自分のためにやってます、という気分だし
舞台 はなんか お金きっちり頂いて、ひとつのワールドをライブで創り出してご覧に入れます。という気分。
お芝居は、それらとは違う匂いがあると思う。
あくまでも創りモノで、でもそれを役者が芸として面白くやって見せますよ、というメッセージが、芝居という文字の前に付く、お に込められている感じがするのだ。
お芝居は、若者や、非芝居者がやるのは難しい。
そこそこ舞台の匂いが染みついた、演劇のベテランに成らなきゃ、お芝居 の味わいは出てこないかもな。
んで、
今回はその味わいを、こくまろ で、コッテリ出したいなと思うのだ。
そんなニーズが世間にあるかどうかは知らんが、三十一年目の秋の気分がコレである。
ま、かつて若者劇団だった、我々の集団がそんな境地を追求しようとしているというのも、
趣き深い話ではないか。
高円寺は、厚木とは違ってやたらに舞台が近く迫ってくる。
その舞台からはみ出しそうな、濃厚な お芝居の味わいをお届けできると思います。
いよいよ、今日から開幕です。
お見逃しのなきように。
では劇場でお会いしましょう。