いろいろあった日
来年以降のための打ち合わせが続く。
どじょうの総理が、突然、豪傑的な胆力を見せて、お腹の弱い元総理に、また腹痛を起こさすような一撃を加えたニュースを、見ている時に
昭和の大女優の死を知る。
一度だけ、お食事をご一緒するという幸運に恵まれたことがある。
実は扉座も、見に来て下さったことがある。
伝説のコメディアン・エノケンの話なんかも、聞かせて下さった。
大女優的な、ヒロイン光線のまったくない、お優しい方だった。
でも、決してオバサンでもおばあさんでもなく、可憐な少女のようだった。
その時、確か八十を過ぎておられたと記憶するが。
大女優のナイトだった、いつまでも少年と名乗る、八頭身の二枚目が、高級中華店のイスの背をエレガントに引くと、アリガトウと言ってニッコリ着座する、その微笑みの、ステキだったこと。
放浪記は、古い芸術座で見ている。
三木のり平さんが、演出を引き継いで、長い長い作品をグッと短くカットした公演だった。
今、思えば、あの舞台は優れて お芝居 であったなあと思う。
我々が青春時代からずっと追い求めてきた、エンゲキとは少し違う、職人たちの世界である。
そこには、それを深く愛する良き観客たちがいたと思う。
芝居どころで、キチンキチンと拍手して盛り上げて、合間合間で適度に居眠りこいたりし
弁当食って、モナカ食べて
しかし、大事なとこはしかと見届け、涙を拭って、夕方の銀座の街に賑やかに出て行く。
舞台にも客席にも人生があるというか。
それこそエノケンの時代から、ずっと続いてきた東京の大人の通う劇場の伝統が生む、夢の時間で、役者と観客が穏やかに共生していた。
あの空気は、役者が良くて、お客も良くなきゃ生まれないものだと思う。
大女優はそんな世界の妖精だったのだ、たぶん。
訃報のニュースの映像で、
見に来てくれたお客様のために、必死で演じるのだ、と語っておられた。
シンプルすぎて、心に残りにくい言葉だけど
あの古い劇場いっぱい溢れた、縁者とお客の絆をよく知り、愛した人たちには、たまらぬ言葉であろうな。
大女優の芸は、小僧の目にも、そりゃ素晴らしかったけど
あの時、エンゲキ小僧は
このお客たちはナンなんだ、と、ショックを受けていたと思う。
歌舞伎のお客たちとはまた、違う。
趣き深さ。
バタ臭さ。
そんな人々を生み育てた舞台、役者、女優。
それは東京の大人の楽しみ。
そんな感じだった。
古い小屋はすでに消え、その小屋の妖精もついに消えた。
そうして時代は変わってゆく。
今、大人の楽しみはどこにあるんだろう。
