告示
朝から、宣伝カーの音がうるさい。
年の瀬、選挙である。
懸案の、DXは、やる暇がなく、
ネットにアップされている、見知らぬ誰かの、プレミア大当たり動画シーンなどを、観て過ごす、ここ数日。
人の当たりなんか、虚しいはずなのに、
白い光には、癒されます。
重病です。
しかし来年の仕事が、ひたひたと背後から、襲ってくる。
それは実は、DXのハマリよりも恐ろしい。
ところで選挙。
何が何だか、分からなくなってきた。
ダレが味方で、ダレが敵なのか。
関ヶ原のように、決戦時間になって、やっと陣営が見えてくるのだろうか。
にしても
どうみたって、くっくつばすのない、カップルが婚約してるみたいなのが多すぎる。
どうせすぐ別れると分かる、カップルに祝儀出せるかね。結婚式に行くのさえ、仮病使いたくなる気分。
でも大事なところだから、じっくり考えようと思う。
とりあえず、根源的なことから、押さえようか。
つい1年半前、我々は何を思ったか。
何より大事なのは、安心と安全なのだと、痛感した。
経済も、文化も、まずはそれがしっかりしてないと、成立しないことを体験的に学んだ。
それが、今、焦点となっているのは、
いったい何か。
そりゃ経済は大事だがね。
ずっと前、大正から昭和にかけての、浅草オペラの時代に凝って、芝居にも書いた。
かの木村拓哉さんが主演した『モダンボーイズ』とか。
太平洋戦争前の、大衆文化爛熟期の話である。
この時代、農村部は苦しかったが、都市部は、世界のどこにも負けぬぐらい、盛り上がっていた。
文化人たちの自信の持ちようを観れば分かる。
浅草黄金期を代表するレビュー作家の菊谷栄なんか、行ったこともないパリや、ニューヨークを、隣町のように語っている。
日常的に、フランス語なんかも使って。
西洋コンプレックスが微塵もない。
そんな菊谷が 昭和九年に、いきなり兵隊に呼ばれ、満州で戦死してしまうのであるが、
世界的恐慌とともに、我が国のターニングポイントになったのは、
関東大震災である。
ここで政治経済、文化も、大きな打撃を受けて
人心までが、変わってしまったと思われる。
浮かれてられなくなったというか。
しかし
その打撃から徐々に立ち直るかわりに、戦争に戦争に向かって行ったのである。
ここらの歴史観は、人によって意見は大いに違うだろうけど、
出来事を並べて俯瞰すると、そうなっている。
大震災で、何かが大きく変わっている。
そりゃその前も戦争はあったし、軍隊もあったから、突然降って湧いたじゃないけれど。
冷静さを著しく欠いてゆく。
ここからは、いきなり、ギャンブルの話とリンクするが
本当に強いギャンブラーのように、
状況を見て、戦うことを自制するのも、正しい軍隊であろうと思う。
それがプロなはず。
パチンコ屋に行っても、競馬場にまで行っても、時によって、今日はただ流れを観よう。
というのが真のプロだ。
それが
どうにも、止まらないというか、ただただヤマ勘で、突撃して負けにいく、なんてのは
冷静さをあまりに欠いている。
その頃は、きちんとした戦争のプロもいたはずなのに。
なんかこう、世の中の不安とか、潜在的な恐怖感と、ヒステリックに一体化してしまって
ハイになっちゃったというか。
ギャンブル・ハイの状態の時、パチンコで言えば千回転、二千回転なんて、地獄ハマリが、むしろ愉快になってきて、笑い出したりするんです。
いっそ、もっともっとハマってやろう、みたいな。
恐怖の裏返しの、脳天気だな。
そんな気分が、今の私を、さらなる絶望的な戦闘に駆り立てていると言ってもいい。
もちろん、きわめて危険な状態です。
行き着く先はたぶん、
玉砕。
不謹慎だというなかれ。
その姿勢がすでに、ヒステリックだ。
どんなことも笑う余裕を持ってなくちゃ、本当に戦争になっちゃうんだから。
でね、
私は、関東大震災のあと、なんか、みんながそこはかとない、恐怖感に取り憑かれて、
集団的に、鬱とか、ヒステリックになっちゃったんじゃないかと思うんだな。
そして、その直前まで、もっとも愉快に笑い転げ、浮かれていた街・浅草のヒーローだったレビュー作家が
真っ先に兵隊に取られて、ダレよりも早く大陸で、戦死しちゃったというのが、暗示的だなと思うわけ。
菊谷栄は、その直前の時期、ドタバタコントみたいな台本で
「戦争に行っても、玉に当たらないよう、しゃがんでいてね」
なんてセリフを書いた、津軽の人です。
その頃はまだ、そんなセリフも公然と大衆劇の中で語られていたんだ。もちろん、たちまち取り締まりの対象になっていくんだが。
その転換期に、大震災があった。
なんか今と、似てるように感じるのはオレだけか。
先行きの不安感が、
妙な方向に振れ過ぎてないか。
経済も立ち直ってくれなくちゃ、劇団もエンゲキも困りますよ。
しかし
もう一回、1年半前の気分を、思い出してみようと私は思う。
安全と安心には、どれだけ金かけてもいいじゃないか。
そう思ったはずなのに。
井上ひさしさんがよく言っていた。
日本人は健忘症だ、と。