キリコ画伯続き

 今日は、有馬自由の出ているGーupを見に行った。
 キャラメルボックスの前田綾さんなんかもいて、そのまま演劇飲み会に参加。

 硬派の現代史劇。
 
 それを実に気持ちよさげにやってる有馬氏。(決して楽しい芝居ではないんだよ。でも生き生きしてる、この不思議〜)
 ある意味、得意分野であろう。理屈好き、歴史好き、社会正義語り好き、ですからなあ。

 
 にしても、どんな時より、芝居やったあとの飲み屋の席にいる有馬さんのエネルギッシュで幸福そうなこと。
 つくづく、演劇の人なんだなあ、と感心しました。


 さて、昨夜の話の続き……


 その日、
 キリコさんとの待ち合わせは、目黒川の近くでした。
 行きつけのカフェがあるということで、電話で道を尋ねて、向かいました。

 途中Y字路があるんだけど、そこに水滴をイメージした妖精か何かの、変な人形の銅像があります。

 その背中が、限りなく哀愁に満ちているので、背中方向からじっくり見て下さい。

 言われた通りに、途中で遭遇した、水滴小僧をみつめた、男2人、私と赤星であった。
 その図は、確か、赤星のデジカメに残っているはずだ。

 で、指定の店に行ったけど、そこが休日。

 仕方なく、公園のベンチに座って、キリコさんを待った。


 実は、キリコさんとはその時でお会いするのは3度目だった。

 一回目は、NHKラジオの番組で『今夜はケイタイ短歌』というやつ。
 私がゲストで、司会がキリコさんだった。

 この時、ディレクターさんから、キリコさんの本を頂いたのが、恥ずかしながら、初キリコ体験。
 すっかり、ハマった私は、その時からファンになる。

 で、実際収録の時にお会いしたら、スラリとした美形のお姉さんで、その上ざっくばらんな方で、ますます好きになる。
 NHKのスタジオで会ったのも、何か不思議なギャップがあって良かったかもしれない。
 
 下北沢の暗めの飲み屋、午前2時みたいな状況だったら、彼女の作風が作風だけに、ちょっと引いたかもしれぬ。

 で、早速うちの公演のご案内を出したのだが、なかなか都合が合わず、この4月公演でついに、劇場へ、来た下さったのだけど、
 体調を崩されていて、
 
 ちょっと2時間持ちそうにない、と。
 わざわざ、ロビーにいた私に、謝りに来て下さったのだった。
 その時、また作品を数冊頂いた。
 これが2度目。

 そして今回で3度目というわけだ。

 店が休みだったので、仕方なくブラブラ歩き出す。
 その中で、アレコレとよもやま話を。

 で、その中で、ちょっとショックなことを聞く。

 今、マンガは休んで入るんですよ〜

 あまりに辛いことばっかり描き続けてきたので、明るいモノにしたいと言ったけど、皆、それじゃ、キリコさんじゃないとかいうのね。辛いの頼む、って。

 でも、そのまま描き続けたら、描くことを嫌いになりそうだったら、自分から休むことにしたの。

 オーマイガッ!

 平静を装いながらも、そう心で叫んだ私だった。

 描くことを休んでいる人に、どうやって描くことを頼むというのだ……

 キリコさんは、そんなことを更に、愉快そうに語る。
 最新作の『キャンデーの色は赤。』では、もはや絵がない、マンガになってるんすよ。
 全部、文字みたいな!

 コレ、後日、買って読みました、私。

 確かに、
 詩集 みたくなってるとこがあって。

 なんちゅうか、説明すればするほど、つまんなくなっちゃうんだけど、
 ここまでやったら天晴れというか。もちろん、全部文字なワケじゃなく、逆に、絵だけ、みたいな作品も収録されてるんですけどね。
 まあ、
 読んでみて。スゴイから。
 私はまた泣かされた……

 ただ、これも今、気付いたけど、絵のタッチも、
 明らかに、初期の頃のと違ってきてるのね。
 
 嫌いになる前の、凄く好き……みたいなラインだと思う。

 微妙に揺らいで、荒れてて、でもヒリヒリとしてる。
 中身ももちろんなんだけど、ラインからも血が流れてる感じがするよね。

 
 ともあれ、そんな状況で、私ら3人は止まり木を求めて、代沢辺りをさすらいました。
 いい加減、疲れた頃、ちょうど手頃なカフェがあって、そこに落ち着いたワケです。


 こりゃもうダメかな、と思いつつ、改めてチラシにあなたの絵が欲しい、とお願いしました。

 そしたら、
 今、ここで描いてみます。

 となったのでした。

 家で机に向かうのは、しんどそうだけど、今ここでなら出来るかも……

 そして、
 昨日書いたようなことが我々の目の前で展開していったのです。

 最初は、どうなるんだろうと、不安でした。

 んが、紙に向かってちょっと経って、
 キリコさんが、突然、

 キタ。出来そう……

 と呟いたときには、何か私の背中もゾクっとしました。

 そこからは、キリコさんは一心不乱でありました。

 どーぞ、テキトーに、お話しとかしてて下さい。

 そう言って、独りで、創作の世界に没頭なさっていったのです。
 
 
 例の黒部分を貼り付けて、作品を完成させると、キリコさんはしみじみと、言いました。

 今、やっちゃって良かったな。
 持って帰ったら、出来なかったかもだな……
 今日は不思議にノレた。


 私は、一枚のちょっとしたカットを、何かの合間にでもささっと描いて貰えばいいぐらいに考えていました。

 しかし、たったこれだけのことにも、キリコさんは、全身全霊を傾け、
 見えざる何モノかと、対話しつつ、
 一本の線の、かすれ具合にも拘って、
 生み出していかれたのです。


 ふと私は、
 鶴の千羽織、
 という言葉を思い出しました。

 多かれ少なかれ、クリエイターというものは、
 我が身を削って、作品を生み出しているモノです。

 でも、我が身の削り具合は人によってさまざまで、

 キリコさんのような、全身感覚総動員派の作家というのはやはり、
 心臓の近くに生えた、産毛まで、惜しげなく引っこ抜き、血みどろになりながら、
 美しい千羽織を織るのです。

 
 この姿、しっかと覚えておこうと、私は思いました。
 
 
 それは思いがけず、覗いてしまった、
 おつう
 の機織り現場でした。


 
 
 
 
 

 

 
 


 
  


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