ラオウ 

 北斗の拳 と私が語り出せば、パチスロかパチンコのことと相場は決まっているが

 今朝は ラオウの声のこと。
 
 声優の内海賢二さんが亡くなった。
 
 実は私が、著作権料というものを生まれて初めて頂いたのは
 声優の神谷明さんが作ったユニットで
 ごくごく初期の作品『優しいと言えば僕らはいつもわかりあえた』というものを上演して下さった時である。

 これは善人会議の旗揚げ作品で、スズナリで二度上演。
 その後、渋谷のジャンジャンでも上演した。
 
 そんな劇場が渋谷の公園通りにあったんだ。
 パルコの横の教会の地下に。
 
 美輪明宏先生が月一でライブやってたりして。
 キャパは200もないんだが、やってる人たちがスゴかった伝説の小屋だな。

 それはともかく
 その台本がお互いの知人を通して、神谷さんに渡り、上演依頼が来たのである。
 そのご縁で、劇団は今も神谷さんと親しくして頂いている。


 そのユニットの中に、内海さんがいらして
 警部の役をやって下さった。

 当時から有名なおふたりであったが

 今思えば、ケンシロウとラオウの実演共演だ。
 すごいことだったなあと、しみじみ思う。
 
 実はそのときは、私は 北斗の拳のこともよく知らず、イマイチ有り難みが分かってなかった。
 今なら、
 
 我が生涯に一片の悔いなし、

 とか名台詞を何度もおねだりしたことであろうよ。二人揃って、同じところにずーーーーっといて、馬鹿話なんかしてたんだからな。 

 ケンシロウもラオウも劇団育ちで、芝居とお酒がお好きで、稽古のために飲み、飲むために稽古してた。
 そして、劇団始めて3、4年目の頃の私のことを励まして下さった。

 当たり前だけど、温かく良い声で。
 そんな時の内海さんは、ラオウというより、ノリマキ先生だったな。

 もう四半世紀前のこと。

 でもつい最近のことのような気がするのは、私がそこからずっと劇場に居るからだろうな。
 
 頑張って続けろよ、と言って下さった。
 続けてますよと、津軽からメッセージしたい。

 昨夜は青森で公演。
 地元の高校の演劇部員が大勢見てくれた。
 青森の鑑賞会は学生を無料で招待する活動などやっている。
 
 アフターロビートークで聞くと、高校一年生の15歳なんて子たちがいて。
 それは私が、厚木高校に入って横浜の青少年センターで先輩におごって貰って『熱海殺人事件』を見たのと同じ歳。

 我々の『アトムへの伝言』にそんなチカラがあるかどうか分からんが

 今は人から頂いた励ましを、次の人たちにお返しすることも多い。

 内海さんの暖かさを、次の人たちに、バトンしていこうと思う。
 ありがとう、ラオウ。


 
 
 

 


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