うえ六 近鉄劇場跡地

 扉座で最初に大阪公演をやったのは、梅田の外れの、扇町ミュージアムスクエア。まだ善人会議という名だった頃。

 劇団新感線、南河内万歳一座が稽古場を持ってた小劇場のあった施設。
 搬入を新感線の人たちが手伝ってくれたものよ。

 その後、尼崎ピッコロシアターなどにもお世話になりつつ
 うえ六 の近鉄小劇場では約5、6年、年一回の公演をやり続けた。

 近鉄には、関西小劇場界を育てたと言ってもよい、松原さんという名プロデューサーがいた。

 千人以上入る、近鉄劇場もあって、パルコ劇場版の HAKANA なんかはこちらでやった。
 ジュリー主演で、大谷亮介氏演出『ザ近松』とか。
 思い出深いのが、21世紀歌舞伎組『雪之丞変化2001年』。再演の時、近鉄劇場でやった。

 まだ2001年になる前だったことだ。

 そんな近鉄劇場が閉鎖されることになって、我々の大阪公演がついに消滅したのであるが。 

 今回の公演場所・新歌舞伎座は、その跡地に建ったお洒落ビルの中にある。
 旧・新歌舞伎座は半分廃墟となりつつ、難波の駅前に今もあるけど、
 こちらも移転したのである。

 近松座の、前田慶次 で大阪にいた時、おもだか一門でこけら落としをやっていて
 笑也さんらと合流してご飯など食べたモノよ。

 その時、笑也さんと旧知だった、賀来千香子さんも一緒にいて、初めてゆつくりとお話しできて、その後の 人情噺・紺屋高尾 へと繋がってゆく。

 思えばいろんなことがあった大阪である。

 いま上6のホテルでコレを書いているんだけど、近所をうろつくといろんな思い出が蘇る。

 再開発地なんで、古いお店は消えている。特に小劇場の向かい側にあった、居酒屋。
 ここは終演後、関西の演劇人と出会う場だった。

 雪之丞の初演の時は
 
 なんか不思議なスナックで

 市川欣也さんと、たしか延夫さん(現猿三郎)と当時殺陣師だった、故・市川猿十郎さんと、一座のオジサンチームに誘われて、飲みつつ語った。

 猿十郎さんが熱く芝居と、一座を語っていた。
 この芝居は良いよ、良いよと何度も言ってくれて。

 まだ、血筋を持たぬ非御曹司歌舞伎集団 である、21世紀歌舞伎組は、異端視されていた頃だ。
 しかし、その境遇を皆で吹き飛ばそうと、野心に燃えていた。そこにフアンの応援もついて、勢いづいていたものだ。

 昨日、ふとあれはどこの店だったのだろうと、記憶を辿って歩いてみたけど、わからなかった。

 しかしなんすなあ

 年取ると、思い出だらけだね。

 未来より過去の方が重くなってるからね、すでに。

 そんな思い出深い土地に新しく建った、長い歴史をもつ老舗劇場。
 よく分かんないけど、懐かしくて新しい。

 そんな大劇場で21世紀歌舞伎組が、一ト月公演する。
 自分が演出席に座って、演出までしている。

 実に感慨深い。

 今日はゲネ。明日初日。



 追伸

 この夏休み公演、少しでも楽しんで頂くため。
 またひとつ新たなサービスを一座内で検討中です。
 まもなく発表のはず。
 お楽しみに。






 

 
 
 
 
 
  


関連記事

この記事のハッシュタグに関連する記事が見つかりませんでした。

アーカイブ