出会えて良かった

 帰去来の季節である。
 桜を境に、我が国ではいろんな変化が起きるならわし。寒かったり、温んだりする繰り返しのこの数日。
 その寒暖に春の足音がそっと潜む。

 扉座も研究生たちを卒業させ、あらたな新人たちを迎える支度を進めている。

 千葉の美浜では、市民舞台『千葉魂』が今夜開幕。
 ここにも、過去よりも、未来の方をたくさん抱えた子供、若者たちが、たくさん集って、彼らの季節を迎えようとしている。

 こちらは、そろそろ、過去の方が重たくなりがちだがね。
 それでも圧倒的に過去が重いはずの、
 ローリングスートンズ、なんてのがやってきて、まだ未来があるぞと、見せつけてゆく。

 ポールも凄かったけど、ビートルズ、もうとっくに存在してないわけで。
 しかし、ストーンズは、完全揃いじゃないけど未だ、十代から続く関係を続けて、バンドでどかどかやってる。

 季節が巡り、花が咲くのは、若者だけじゃないぜ。と教えてくれる。
 彼らより20歳も下のオッサンが、挑発される。
 五十でハアハアいってんじゃねーよと。

 それはともかく、布袋である。
 昨夜の東京ラスト公演に、ゲストで布袋寅泰氏が招かれて、ギターを弾いたんだって。

 私は特に、布袋さんと知り合いでもないし、深い思い入れもないんだけど、ネットでストーンズのことを観てて、辿り着いた、布袋氏のブログ。
 いろんな人が、この日記に今日、初アクセスを果たしたと思うけど。

 ある日、ストーンズから、招待状が届いたら君はどうする、という書き出しで、
 ストーンズから誘われた時の驚きを、実に率直に記されている。

 この文章が素晴らしい。
 布袋氏をこれだけで大好きになった。
 その音楽もじっくり聴きたくなった。

 神聖なストーンズの舞台に、軽々に立つな、と怒ってるファンも大勢いるみたいだけど。
 
 ストーンズが彼を誘ったことの本質は、もっともっと深いことなんじやないかと、これを読んでいて、思ったな。

 先頭を突っ走る、彼らには、もうちょっと広い世界が見えているんじゃないかな。その中で、布袋氏の光が、目にとまったんじゃないかな。
 なんというか、同じフィールドを駆けている人間としてさ。

 たぶん布袋氏は、私らと同じような世代だと思うけど、何もかも捨てる覚悟で、ロンドンに移り住み、一からキャリアを築き直していたのだね。
 そんなことさえ知らなかった。

 その無謀と勇気と、その底にあるだろう、もっと行くぜ、という野心と出来るはずだ、という矜持。
 門外漢ながらそういうのをロックというのだと思う。

 要するに、どれだけ徹底的にやってるかなんだよな。
 金儲けしたり、有名になった名前で、副業もやったりするんだろうけどさ。
 そんなことはどうでもいいんだ。それぞれに気が済むまで、やればいい。

 でも結局、その人が何をやり遂げたのか、やり続けたのか。
 
 ロックも演劇も、若気の至りと言うことはママあるし、一時の流行病だと言うこともある。それはそれでいいんです。
 私だって勘違いでギター抱えたこともある。

 でも、なかにその病が一生続いてしまう人たちがいるのだね。
 そしてそういう人に触れること、見ることが、僕らの幸福になることがあるんだね。
 人間がそこまで何かに魂を捧げてる姿を、我々はとても美しいと思うんだな。
 (ひとつ加えると、その姿を神様からも愛されてる、ような気配が漂うことも、こういう超人スケールには不可だけどな)

 やりたくてもなかなか出来ない冒険をやってみせてくれる、もう一人の自分の化身でもあってね。愛おしく、少し憎く、そして畏れ多い……

 たかが音楽なのにね。
 本当に、人生を捧げるものを得た人こそは、幸いであるなあ、と思う。

 ポールの時も思ったけど、もはやあの人たち、金じゃねえだろうよ。
 単に金が要るだけなら、今や、いくらだって手はあるんだから。
 それにそういうインチキは、実は大衆はちゃんと気付くものだよ。ひととき惑わされることはあっても、絶対に気付く、仮病かどうか。
 それほどオレらはバカじゃない。

 だいいち本物は皆、幸福そうだよ。

 布袋氏も幸福そうだ。
 そしてその幸福が、彼だけのものでなく、すべての人たちに何かをプレゼントしてくれるもののような気がする。
  
 日記の最後に、彼はこう書いてる。

 ギターと出会えてよかった。

 良い言葉だね。

 そんなふうに一人つぶやけたら、最高だね。
 金じゃないし、名でもないよ。
 
 だって
 彼のその実感だけは、サッカーチームを買い取るような大富豪でも、絶対に買うことは出来ないんだからな。
 
 そういう宝を持つ者の勝ちだよ。






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