回春エナジー

 忠臣蔵は、艱難辛苦を乗り越えて、いろんな人に助けられ励まされ、権力者たちに嘗められていた赤穂の田舎侍たちが、名誉の為に闘い。
 見事主君の仇を討ち、大願成就するという話である。

 我々も多くの方のお力添えを得て、艱難辛苦乗り越えて、ついに紀伊國屋ホールに討ち入った。

 しかも、いつもなら、ここから、まだまだお席有ります。
 二度三度と来て下さい、ご家族ご友人に、ご紹介下されと
 声を枯らして、余った座席を埋めなくちゃいけないところ。

 今回は前売り分、ほぼ完売という異常事態。(金曜夜はまだ間に合うかも、キャンセルも出るし、当日券のご用意もあります。とりあえず劇団にお問い合わせを)
 
 初日に、楽日分まで完売したなんて、長い扉座史でも初めてなんじゃなかろうか。
 なんだか、不思議な気分。

 まあ一所懸命やってるから、たまにはこんなこともなくちゃ、やってらんない。
 パチンコ・スロットでいうところの。
 ストック放出だ。

 そろそろ解散しようかね、と最近よく呟いているけど、決して冗談じゃなくて、
 オレらもう充分やったよね。お客さんも、オレらのこと見飽きたろ、という思うところ多分にあり、実際、公演を続けるのも毎度薄氷を踏む思いで
 経済的にも気分的にも、日に日に重い荷物を下ろしたくなっているのである。

 言っとくけど、そんなふうに思うのはきっと私一人で。劇団員たちはたぶん、これからもずっと続くと良いと思ってると思う。
 担いでる荷物の重さが違うんだ。
 
 何もかも背負わされてるロバさんは、ホント大変なのよ。

 でもね、そんな矢先にこんなことがある。
 ナイアガラの花火が終わって、連発も終わって、もうこの花火大会も終わりだろうというタイミングで、
 音楽が変わって、また大仕掛けが始まったみたいな。
 まだ続くんだな、おい。
 この狂気の祭りは。

 高揚し、緊張し、ギリギリの精一杯……
 なんだか、紀伊國屋ホール初進出の気分である。
 正しくは1987年ですよ。我らの初進出は。
 若いメンバーなんか生まれてない。
 それでいて、妙な勢いが生まれてしまい、
 さあここからスタートだって。

 こっちはフルマラソン10回分ぐらい、もう走って来たっての。
 また再スタートかよ。
 とブツブツ言いつつも、
 キャンセル待ちでも何とか見られないか、なんてメッセージがゾクゾク届いたりすると、そりゃまた気分も盛り上がり。

 オシやってやるぜと、見せたろうじゃないの、なんて調子に乗る、のぼせ者である。

 ともかく、
 アラ五十歳の、おじさんたちの声が潰れないことだけ、紀伊國屋の女神様にお祈りして、この公演を、初登場の若手のように、熱く乗り切るばかりである。

 徹底的に、つかこうへいスタイル で創ってるこの作品。
 役者たちは限界に挑まざるを得ない。
 そうしないと、つかスタイルにならんのだ。

 でも、そのために
 舞台の上で、おじさんたちが、やつれて痩せていくのが、本当に見えるからな。
 私が紀伊國屋ホールで見た「熱海殺人事件」の役者はたぶん三十半ばぐらいだったよ。
 
 これは私も含めて、おじさんたちの死の舞踏である。

 これから見に来て下さる皆さん、
 お金払わせてその上に、お願いして大変申し訳ないけど

 掛け声とか拍手とか、多少滑ってても、声が聞こえるように笑うとか、

 舞台の上の、おじさん俳優たちへ、回春エナジーを飛ばして下さい。
 そうしたら、おじさんたちは、きっと更に元気になります。



 

 

 
 
 

 


関連記事

この記事のハッシュタグに関連する記事が見つかりませんでした。

アーカイブ