蒼天

 フレンド 今夜此処での一と盛り 

 を書き出したのは、6月頃だったか。
 昨年新作の依頼を受けた時、
 さて、何をやらせてもらおうかとネタ探し中

 増田貴久氏の顔を思い出しつつ、たまたま書斎を眺めていたら、中原中也の顔が出てる本が出てきて
 おっ、似てるじゃん と思ったのが発端。
 中原中也は、私の青春の思い出だったりするので、コレは有りかも、と思って資料を集めにかかった。

でケッコウ本を読んだんだが、知れば知るほど、中也という人は、人間的に大きく破綻している人だとわかり、なんかちょっと、主役にしたくないなあ、と思って諦めかけたのだった。
 青春期の甘い記憶の中では、中也は、なんかもっと甘く切ないモノである気がしたんだが、実際は、半ばアル中の、パンク青年なのであった。
  
 んがその時、集めた本の中に『中原中也の手紙』というのがあって、
 これは実際に無名の頃の中也の、というか生前はほとほど無名だったから、暴れん坊だった元気な頃の中也を、支え励ました文学仲間の安原喜弘さんという人の、中也からの手紙を中心にして編まれた手記のようなものなのだが、

 この人の献身的な友人の支え方と、理不尽な迷惑の被りようが、何とも哀しく可笑しく、しかしそれでも確かに結ばれてゆく絆の具合が、とても良いので、こっちを主役にした方が面白いんじゃないかと、思うに至ったのであった。
 
 今、稽古しつつ、この方針で良かったと確信している。

 ただ、そもそも、増田氏の顔が中也に似てないかという、ところから始まり、それがすっかり逆転してまったから、ビジュアル的なことは、かなりイメージとは違ってきている。
 しかし、ま、今となっては、実際の中也に会った人も少ないわけで、今回、新たな安原像、中也像をオレらで創ろうと、『フレンド』で出会った若き俳優の親友ふたりは、誓い合っている。

 ついでに言えば、この台本を読んで下さった、安原さんのご子息から、ぜひ父の名を使って下さいと、メッセージが届いた。
 安原さんの個人的な人生の部分は、資料にも乏しく、かなりのシーンを創作してしまったので、遠慮して別の名で書いていたのだが、これは嬉しいことであった。

 で稽古に入って3回目ぐらいで、急遽役名変更。
 今は増田氏の役名は、安原喜弘 という役名になっている。

 しかし安原という人物、これがまた、良い男なんだ。人間の中身はもちろん、外見も。
 
 トッポい中也と、イケメンの安原と、このふたりが昭和初期の新宿渋谷あたり、飲んだくれて徘徊していた図はかなり、良い感じだったろう。

 稽古場の親友たちには、この部分も負けずに、イカシた感じにしてくれと頼んでいる。


 ところで、そんなこんなでバタバタで、7月半ばからは大作『NAOTORA』にもとりかかった私、もちろん病みます。だからイボもいじり倒す。
 でもイボ一個ぐらいで、バランスは保てるはずもなく、
 なにしろ抱えているのは、2打席連続タイムリーがノルマという、ストレスだよ。イチローだってお腹が痛くなるはずさ。
 内心は連続ホームランを狙ってもいるし。

 そんな中、睡眠も極めて浅くなってゆき、また倒れるんじゃないかという気配も漂い、草臥れ果てた頃。
 
 ついに復活してしまった、パチスロ。
 法改正で、爆裂しなくなってからは、もっぱらパチンコに舞い戻っていた私。

 六角精児が打つ時間を失って、その上、カジノ反対派なんかに回ってしまった嘆かわしい今現在、扉座パチスロ廃人を継承しているトシノリ氏からは、何度も今のパチロスは出始めてます、と誘いを受けていたモノの、なかなかチャンスがなかったのが

 8月に入って、直虎との夜討ち朝駆けの闘いも熾烈を極め、
 ああ蒸発したい、もう演劇のない国に行きたい、
 どこかの街のホステスのヒモになって、四畳半のアパートでずっとゴロゴロしていたい、と幻覚を見始めた頃。

 書かなきゃイカン、座ってなきゃイカン机の前から、夢遊病者のように立ち上がり、私は池袋に向かい、ついにそこに座ってしまったのだった。

 それがかつて、無数の激闘を繰り広げた『北斗の拳』の継承パチロス台。
 蒼天の拳2 なのであった。

 ここからまた地獄が始まり、今も継続っ。

 ただひとつ言えること、
 
 トシ君、出ないよ。

 
 




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