虎虎虎 ときに 友
虎虎虎の日々。
でも新大久保の 友も 気になり。
こちらはネットで、様子を伺う。信じられないぐらいの膨大な情報が出てくる。
なかには
中原中也 って本当にいた人なんですか、なんて書き込みもあり。
イスからずり落ちそうになる。一方で、観劇のために勉強するからと、
安原喜弘氏の 中原中也の手紙 という本を買ったというお嬢さんたち多数。
取り次ぎ書店も驚いてるんじゃなかろうか。
なんでこの本、急に売れはじめてるんだ、と。
ちなみに私がこの本と出会ったのは、神保町の古本屋であった。中也関連買い漁った中の一冊。この本に出会ってなければ、たぶんこの舞台はまったく別のモノになっていただろうから、これは運命的なものであった。
中原中也の詩が読みたくなったという感想もとても多くて、これは中也に恩返しできたなと。
まだ机には、山積みの資料。こっちはそろそろ片付けないとな。
で『NAOTORA』である。
五日目にして通しをした直虎、その後、も爆走中である。
すでに三回通している。
でもな、今回はとにかく演技の力がメインだから、稽古するしかないんである。
演劇らしい演劇、って変だけど。
それをやりたい。
観劇の時間が、一期一会の体験となるような、圧倒的な舞台。
それをショー的にではなく、演劇としかいえぬ形で実現させる。
34年ぐらいやらないと出来ないよ、コレは。と客席にため息が出るような舞台をしたい。
特に褒められたいんじゃない。ただただそういう願い。
もちろん私が創作するわけであるが、近年、どんどん私は消えているのである。
何をしても、褒められても、貶されても、特に自分という感覚がない。
夢中という感じかな。
それも自分の夢に入ってるんじゃなくて、今創ってる何かの中に、自分が消えて入り込んでいる。
で、これはちょっと悪くない感覚である。
たぶん芝居をやり過ぎてて、何かが麻痺してるんだと思うけど、
俺の芝居が、とか、俺の世界がとか、そういう思いがどんどん薄れていく。ただ、目の前に創るべき作品があり、そこに没頭するのみ。
評判が気になる、感じは消えてないから、まだまだ
則天去私 の境地は遠いけど、
それでも、創作との一体化は心地よい。
導師は今、三昧の境地に入られております。
芝居三昧なんて、つまり煩悩だらけじゃんではあるがな、
若いときとは違う、静かな熱狂が私の中に生まれつつある気がする。
期待してもらって良い。
