街と劇場
台風が過ぎてくれた。
もう今年はいいから。これで打ち止めにしてくだされ、と天に祈る。
『フレンド 今夜此処での一と殷盛り』
たとえ台風の中でも、当日券にたくさんの人が並んでくださる。
フレンド店主役・高木稟氏 いわく、
お帰り頂くお客さんだけで、毎夜、駅前が埋まりそうですわ。
駅前というのはシモキタの駅前劇場のこと。キャンセル待ちにも外れて、ご入場頂けない方が、それだけいるという話。
心からありがたく、感謝。
うれしい悲鳴。
うれしいため息。
しかし、出演者たちも今は夢のような天国気分だけど、この夢もまもなく終わって、現実がまた待っている。
ひたすら地道な演劇活動が、待っている。
むろん、それは望んでやることだから、大いにのたうち回って、苦しみを楽しんで、ゼエゼエいいつつやるんだけど。
ここに集まる何割かの人たちが、ここで心底、芝居の虜となってくれたら。我らの活動もどんなに希望の光が差して来るだろう。
この横で、扉座とかのチケット売りたいと、我々、演劇活動家たちは切に思っている。マイクロバス横付けして、こちら満室なので、別館の方へご案内しますと、みんな乗せて我らの劇場に連れ去るのだ。
グッチ、エルメス、作ってるのと同じ職人さんの作ってる、メーカーのお品ですよ、なんて説明で売る品があるが、そんな感じでな。
たぶん大問題になるがナ。
ま、良い芝居さえしていれば、きっとこちらにも興味を向けてくれる人たちがいる。
これを機に芝居とか、扉座とか、興味を持ってくれる人がひとりでも増えてくれる。そう信じて、天国に浮かれず、エナジーを放射し続けることだ。
三千代や亮はもちろん、小劇場界から参加している役者たちは、肝に銘じて、演劇界の広報に励んで欲しいと思う。
くれぐれも芸能人面なんかしねーでな。
あなたたちの故郷を忘れちゃいけません。
にしても新大久保と、高円寺である。
グローブ座の通りは、普段、ほぼ日本人がいない。
夕方は、万国博覧会的な、雑多の言葉の入り交じる、屋台通りの風情となる。大久保通りはソウルの風景だけど、グローブ座通りは、不思議にグローバル。
で
公演が始まると、ここに突然、観劇のお嬢さんたちが加わって、さらに得体の知れぬ通りとなる。
でもその風情はちと面白い。
へそ曲がりの芝居者には、かえって心地よい場所でもある。
ふらりと入る店も、趣深く、美味しいところが多いし。
この町にある劇場を私は、かなり気に入っている。
そして座・高円寺。
中央線からも見える、茶色のサーカス小屋みたいな劇場である。
駅から線路沿いの一本道。
ここはなんてことない道なんだけど
なぜか葬儀場通りみたいになっている。
稽古への行き帰り、あるいは観劇のみちすがら、よくお弔いに出くわす。
その先に劇場があり、
そこは人間のチカラが輝き、命が、笑いや涙で、燃えさかる場所。
まるで死体が流れる傍らで、新生児が洗礼を受けているかのような
かのガンジスの、夜明けのような風情。
言うまでもなく高円寺は、いろんな飲み屋、飯屋があって、快適な場所であるが、
へそ曲がりの演劇人には、この雑然とした感じが、趣深い。
ていうか、劇場が、その営みが、通りを変え、街を変える。
その有様が、好きなんだろう。
そしてそんなチカラを持つ、舞台をここでまた、作り上げたいと切に願って、
『おんな武将 NAOTORA』の稽古に励んでおります。
皆様、どうか熱きご声援を。