行ってきました、関東大会
まだ北関東大会という、続きの大会があって、それが全部終わってから結果が出る部分もあるということなので、細かいことは言えない。
ともあれ審査してきた。
13校。
金曜日の夜、興奮したからか、八千代アパホテルとの相性が悪かったからか、どうにも眠れなくなって、しかし翌日土曜は七本も見なきゃいけないから、寝よう寝ようと焦ったら、どんどん目が冴えてくる始末。
で、ほとんど眠れず審査に臨み、万が一でも居眠りこいたらどうしようと、心底恐怖していたのだが、
コレは、面白いモノを次から次へと見せてくれた、高校生諸君のお陰だろう。
一瞬たりとも落ちることなく、見通すことが出来た。
高校時代、いろんなとこで、居眠りこいてる審査員の姿を見て、心底ガッカリしたもんな。
そんなことになったら、一生の不覚であった。
にしても、かなり大事な舞台の初日の前でも、すっと睡眠におちるのが、最近の私であるのに、この夜は何だったのか。
やっぱり、いろんな思いが溢れてきたのだろうな。
でも正直に言って、ああ寝なきゃ、大変なことになるぞと、夜明けに煩悶した。この時が、今回のクライマックスだった。
あとは意外なほど冷静に、粛々と役目に向かった感じ。
高校生たちも、支える大人たちも素晴らしい。
改めて感じたし、ここに未来への可能性が溢れている。演劇界としても、社会としても。
素朴にそう思えて、ここに帰って来られたことが、とても嬉しかった。
でも今や私にとっては、
生業となってしまっている芝居。
新作作りの、自分の課題も抱えてる。
おお、コレはいいね、気の利いた演出、良い言葉、惹き付けられる演技、光るセンス……
そういうものもたくさん見たけど、当時に粗も見えてきてしまう。
経験の浅さと、知識の少なさと。
単に才能だけなら、ここにも、私なんかより可能性のある人たちが、たくさんいたのかもしれないけれど、
しかし演劇において、知識と経験はある意味、才能以上に大きなモノなんだな、と改めて思わずにいられなかった。創作にも演出にも演技にも。
オレはただ手立てを知ってて、技術を持ってるだけだけど、それを使っただけで劇的に変わるだろうと思える欠点がやたら目に付いてしまう。
本当にそれは才能というのではなくて、もっと単純なものだ。
なので余計にイラついてしまう。
だから、そういうモノを持った指導者が付いている舞台は、やっぱり見やすく、客席にいろんなモノを伝えている。
で、そういうバックも否応なく見えてきてしまう。そういう先生とか指導者が付いてるもん勝ちかよ、と……
こっちは、関東大会から36年。一年間の浪人生活を除いて、ずっと年に2、3本の芝居を書き、その倍の演出とかもして、過ごしてきたのである。
今となっちゃ経験と知識に圧倒的な差があるワケで、粗探しは大人げない、良いところだけ見ていようと思っても、それでも自然にこの目には不足や余分が見えてきたり、感じてしまったりするんだな……
で、イチイチ気になり、残念になり、心底感動するって、ワケにはいかなくなる。
因果なものよのう……
感動はするんだよ、みんな一所懸命やってるし。おお、コレは是非続けてプロへの道を。と思う手応えを感じた力量もある。
でも、本能的に、足りないモノも感じてしまう。
ま仕方ない。だからこそ、審査なんか頼まれるわけだし。
で自分なりに今回分かって確認したのは、オレはここを卒業したんだなということ。
とてもとても懐かしく、愛おしいが、オレにとって、帰るべき場所ではないということ。
ここに根を張り、支え続けていてくれる情熱溢れる先生方や、指導者たち、関係者とはずっとお付き合いをしていきたいけど、
今回、いろいろと見せてくれた若者たちと、もし再会する場所があるとすれば、どこかの稽古場や劇場でいいな。
そこで、同じ作品を作る仲間とかライバルとか、そういう関係で再会するべきだな。
たぶん審査に不満があったり、その結果に忸怩たる思いの学生諸君もおおぜいいるだろう。
でも、今のオレははっきり言える。
素晴らしい場所だけど、もし演劇が好きで、更に続けるつもりなら、こんなところは、小さな通過点だよ。
ここで出た結果なんか、もう忘れて構わない。
君の力を見せつけられる、大海原は、目の前に、だだっぴろく広がっている。荒波だけどな……
そこでは、高校演劇などとも関係なく、しかし負けぬ情熱に溢れた若者たちが、命がけで自分の表現場所を確保しようとあがき、しのぎを削っている。
そこにコンクールはないけど、毎日が競争で、評価の場だ。
更に行く者は、そこに飛び込め。