あつぎの元ヤン

 6回目を迎える今年は 厚木市役所前の 中央公園で開催する。去年、観覧希望者が大幅にオーバーして、文化会館大ホールでも収容しきれない感じに膨らんだ。
 地方都市の、手作りフェスとしては有り得ない、豪華なアーティスト・ラインナップなのである。
 何でそんなことが可能かというと、そこにはこのイベントに情熱を燃やす、凄腕のプロデューサーの存在がある。

 そもそもその人との出会いは、厚木市の映画祭の企画会議だった。当時厚木では映画館が消滅していて、そんなことで良いわけがないじゃんということで、「映画館のない町の映画祭」という催しを文化大使として、私が言い出して企画したのだった。

 市のイベントなので、市内の有識者とか大学の先生とかが集まって会議を繰り返したのだが、まあ、ありがちな展開で極めて常識的に収まるばかりで、まったく盛り上がらなかった。
 
 そもそも、映画館のない町の……という言葉が如何なものかとダメだしを受けて却下されたりして。洒落もまったく通じないのである。  

 で会議の場で、こういう会議にはもっと変わり者とか、面白い人が参加しないといけません、と私は発言したのであった。
  
 すると、厚木の不動産屋さんで、女性会など市民活動や芸術活動にも熱心な杉田さんが、うちのマンションの店子に、とっても変わった人がいたのよ、とその人物を会議に連れて来てくれたのだ。

 それが音楽プロデューサーA氏であった。

 彼は参加した会議の終わり、せっかく来てくれたのだから、感想なり、ご意見なり忌憚なくお聞かせください、と私が言うと、それでは……と言って

 クソですね、ヌル過ぎますよね、と言い放ったのだった。

 市役所の会議で、たぶん前代未聞であったろう。
 シーンとなったものよ。 
 しかし、変わった人を連れて来て下さいと言ったのは私だ。
 杉田さんはまさに、そういう人物を見つけて来てくれたのだ。

 彼の意見も決して間違っていなかった。確かにヌルかったよ……
 私も常々そう思っていたので、その後彼を引き留めて居酒屋に誘い、でアナタは結局、何者なのか?と初対面の挨拶を交わしたのだった。

 東京で活躍する、メジャーな音楽関係者だった。しかし、生まれも育ちも厚木で、家は厚木においてあり、どんなに忙しくても厚木に帰って寝るんだと言った。

 その時、彼が夢を語ってくれた。

 自分、東京で仕事していますが、厚木で大きな音楽イベントを開催するのが夢です。小さい頃、夏の花火大会の前夜祭は、凄く盛り上がってて、かなりのスターが来て、歌ったりしてたんですよ。毎年誰が来るか、うちら子供たちは、みんな楽しみにしていた……でもその前夜祭をやらなくなって、寂しいんです。
 アレを復活させたいです。
 今の厚木、寂しいでしょ。

 たとえ無償でもやる気はあるという。

 その思いを、文化財団に取り次いだら、ちょうど市政何とか年で、イベントがやりやすいタイミンクで、だったら音楽のフェスとかやってみようと、一気に実現に向かったのであった。
 まあ、まずは文化会館の大ホールからではあったが。

 実際、彼はかなりの実力者だった。その上に、厚木を思う情熱に溢れていた。
 こういうイベントは普通、大手代理店とかが噛まないと、シュボクなるものだ。
 しかし、彼はまったく自力で、有名アーティストたちをブッキングし、ライブの設営から運営までをやり遂げたのだった。

 しかも、厚木には彼以外にも、大手のコンサートプロデューサーとか、今売り出しのヒップホップ・アーティスト、SALU君 が在住していたりすることを、彼は教えてくれた。
 厚木は、マジに音楽都市であったのだ。
 そんな情報は、もちろん市役所になかったし、私も知らなかった。

 だから今も、あつぎミュージックフェスティバルは、純粋な厚木民たちによる、手弁当&手作りイベントなのである。
 ここんとこは強く訴えておきたい。
 
 その一回目の成功を経て、回を重ねるごとに協力者が増え、スポンサーになってくれる企業さんとか、市民の方々が周りに集まり、今年はついに、かつての花火の前夜祭のように、野外でのライブが実現するのである。

 市役所の会議室に杉田さんに連れられて、Aさんが現れて、クソですね、と言ってくれた一言から始まって、約7年でここまで来た、人間の夢って、適う時はかなうんだな、と他人事のように感心している私である。まあ、今から、みんなでそれを大成功させなきゃイカンのだが。

 ところでこのAさん、本当はもっともっと詳しく紹介したいのだが、ご本人がそれを遠慮するので、ここでも仮名にしている。
 というのも、Aさんは、若き頃、ヤンチャを極めていて、厚木で有名な悪童だったというのである。

 ボ〇った人たちが何人もいるので、ヤバいんすよ……

 今はこんなに厚木の為に、必死にやってるんだし、近年は世界的なアーティストもプロデュースし始めたりしているし(知り合ってからのAさんの快進撃がまたスゴいのである。私たちは良い時に出会ったものだと思う)もういい加減、それらも時効でしょうと、不良事情に疎い私なんかは思うんだけど

 やられた側はわすれないものなのかもしれぬ。

 そんなにボ〇ったの?
 はい。

 みたいな話ではある。
 今の彼の活躍に対する、反感ややっかみも多いようだし。

 でも、こうして彼と付き合って思うのは、若い頃の成績とか、学歴とか何とか、つくづくアテにならんなあ、ということだ。
 若い頃は、ハンパなく暴れてたと言うこの人のエネルギーがあってこそ、こんな奇跡も実現するのだ。

 そして郷土愛が強い。地元を愛し、地元の仲間を何よりも大事にする。
 厚木のためなら、やる、という言葉に嘘はない。損得抜きのloveである。

 彼が今、プロデュースとしているアーティストたちは、素晴らしい才能の持ち主たちだけど、いわゆる一筋縄でいかぬ、癖の強いヤバそうな人たちだ。
 うちのアーティストたち、皆、気合の入り方が別次元なんで、大手のエリートサラリーマン・プロデューサーとかじゃ仕切れないんすよ、とAさんは笑うが、そうだろうなと思う。

 子供をお持ちの皆さん、一度ぐらい、ヤンチャさせた方がいいのかもしれませんぜ。

 偏差値的には落ちこぼれていたとはいえ、私は地元一の進学校・厚木高校の生徒であった。
 世代が違う(Aさんは一回りぐらい下)から、町ですれ違うこともなかったが、厚校生は当時からカツアゲされる餌食の側であった。
 他校の不良たちとは目を合わせないようにしていたものだ。

 そんな、出会うはずもなかったような我々が偶然出会って、今こうして厚木の大花火に次ぐものとなるはずの、新しい町の祭りを本気でつくっている。

 この世界が多様化しておくべきだという、という良い手本だと思う。
 クソですね、と言って会議に現れる人がいる社会は強いんだ。
 その異分子を許容して、飲み込んで取り込んでゆく社会はさらに強靭となるだろう。
 
 いろんな経験を経た人々が集まって、新しい絆を結ぶとき、初めて大きなものが動くのだと思う。
 均質化した社会では、固い岩盤は砕けないよ。
 そもそも、とんでもない夢を描いて、古い岩盤を砕いてやろうなんて考えないよな。

 そして、本当に人を動かすのは、政治でも経済でもなく
 夢やロマン、そして愛なんだということ。

 彼の影響で、最近、私もヒップホップの端っこを齧っているのであるが。
 貧しさと、差別、暴力……ストリートが舞台の、ガチのリアルな世界なのに、そこに溢れる精神のなんとピュアなことか。
 
 日頃、インテリ演劇人たちの、歪み病んだ、屈託に触れている身には、意外なほど新鮮な世界である。
 地元愛なんて、現代演劇ではテーマにならんもんな。

 しかし、あるんだよ、諸君、本当にそういう愛が。
 その証を、11月3日厚木市中央公園に、ぜひ見に来て欲しい。
 

 そんで私、実行委員長なんです、
 演劇でとてもお世話になっている厚木に、違うことで何かお役に立ちたくて、演劇以外のことに取り組んだのでした。

 開催に向けて、
 皆さまのお力添え、宜しくお願い致します。


 
 
 
 

 

 
  







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