台風19号 に負けず10月14日 追加公演やります!

 止む無く、12日土曜日の二公演と、13日、日曜日のマチネ公演を、中止にしました。
 満席だったので、いろいろと痛すぎる……
 しかし、史上最大の台風なんて言ってるから、何が起きるか分からない。それこそ芝居どころじゃない、事態だって起こりかねぬ。何とか無難に通り過ぎてくれることを祈るのみ。

 大変な苦労して製作して、稽古して、迎えた公演。このままじゃ終われないので、14日の夜、18時半から特別に、追加公演を行うことを、関係各位のご協力の元、決定した。せめてこの公演が、無事に行えることを祈る。人とは何と無力なものか、祈るしかないんだ……

 ところで台風がモロに公演に直撃すること、劇団では、実は2度目だ。40年になろうとする歴史で2度目だから、今までは結構運よくかわせていたのだと思う。(ミュージカル『オリビアを聴きながら』の時も直撃だったけど、アレは製作が扉座ではなかったからね)

 その一回目の直撃というのが、扉座の前身、善人会議の何と旗揚げ公演である。
 1982年、9月11日~12日、出来たばかりだった下北沢ザ・スズナリで、土日だけの全3回公演だった。その2日目、その年の18号の直撃を受けた。
 計画運休なんてない頃だから、というより急に中止とかしても今のようにスマホなんてないからお客さんに伝えられないし。どんなことがあっても、公演はやるのが基本だったものよ。
 思えばあの頃は観客も強かった。日曜お昼の公演途中からたぶん暴風雨圏内に突入し、終わった頃には電車が止まった。でも夜の公演が残っている。劇場から動くわけにもいかないし、観客ゼロでも仕方ないと思いつつ、やってみたら、それでも何十人か来てくれた。
 40年の歴史で観客動員の最低数は、スズナリでの公演で確か27人なんだけど。この時は最低ではなかったのだ。

 演目は極初期の代表作だった『優しいと言えばいつも僕らは分かりあえた』
 ポエムなタイトルだね……
 しかし、これが面白いと結構評判になって、三演を重ねている。声優の神谷明さんが、このホンを貸して欲しいとご連絡くださり、ご自身のユニットを起ち上げ、公演もしてくれたんだ。

 当時スズナリの支配人だった酒井さんと言う方が、旗揚げで台風直撃を受けた我々を不憫に思って、翌年、優先的に小屋を空けてくれて、リベンジの機会を与えた下さった。そこからスズナリとのご縁が深まり、創立十周年ぐらいまでは、ザ・スズナリが我々のホームグラウンドとなったのである。

 その夜、バラシが終わって、スズナリの階段を降りた時、夜空は台風一過満点の星空だった。
 酒井さんがボロボロの我々を不憫がって、本多スタジオの稽古場を空けてくれて、朝までいていいからと言ってくださった。
 本多スタジオで、有り合わせのもので乾杯とかして、朝まで何かを語ったのか、バカ騒ぎをしたのか。ちょっと記憶が薄れているけど、忘れられない旗揚げとなった。
 その時からいるのは、岡森と六角と杉山かな、21、2歳の俺たちである。

 思えば大恩人だね、酒井さん。のちに故郷に帰られたと聞いたが、ぜひお会いしたいものだ。

 その時はひたすら必死で、これで公演が潰れると思うと、胸まで潰れた。
 ずぶ濡れになりながら、劇場に来てくれた友人たちには、一生感謝しようと誓った。(誰だったか、すつかり忘れてるけど……感謝の気持ちだけは忘れていない)

 今の我々には、もはや愉快な笑い話だけどな。今、まさにそれを味わっている若者たちは、さぞ無念であり、悔しいことであろうよ。
 でもな、きっと、また星空を見上げることになるのだろう。
 そして、その星に何かを誓ったりするのだろう。

 いつの日か、この19号の思い出が、演劇史の一ページに、何かの軌跡として語られることを願う。その為にも、今年の リボンの騎士 からも、次代を担う俳優が誕生して欲しいと願う。

 正直、満員になるはずだった、3公演が潰れたことは、劇団の経営的にも深刻な打撃である。
 こんなことで、この歴史的劇団を潰すわけにはイカンから、借金背負っても頑張る所存ではあるが、この上は、どうか皆様のお力添えで、

 追加公演を含めた、あと3回の公演を大入りのパンパンで終えられるように、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
 この情報など、拡散して下さったら幸いです。

 そして、この台風の被害がどうか、最小に留まりますように。
 厚き雲の向こうに、輝いているはずの星々に祈る。

 ちなみにちなみに、
 『優しいと言えば……』のラストシーンは、逮捕された銀行強盗の若者たちが、居並んで立つシルエットに、オフコースの『I LOVE YOU』が鳴り響くというものだった。
 その時、当時はLEDなんかないからさ、豆球の星が光って、星空を演出していたものよ。

 アングラ演劇もまだ健在だったあの頃、軟弱すぎると馬鹿にされていた、甘いオフコースのラブソングで、俺たちの青春の結末は語られるのだと言う、メッセージだったのかな。
 劇団名は やたら悪ぶる、アングラ演劇に対抗する 善人会議 だった。

 リボンの騎士19 の若い役者たち。40年後に、この日のことを、こんなふうに語っておくれよな。
 
 

 

   













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