あけましておめでとうございます。
長く更新をサボっておりました。
今年も、扉座を宜しくお願い申し上げます。
皆様にとって、喜びに溢れた一年となりますよう、願います。そしてその手助けに、私たちの活動が少しでもなれるよう、心を込めて芝居作りに励んで参ります。
昨年秋から、父の病気療養が始まって、皆様にもご心配をおかけしています。私の実父のことなので個人的な問題と言えばそうなのですが、約二十年に渡って(有)扉座の運営に携わる取締役でもありました。
皆様のお気遣いの声は、父にも届いていて、その一つ一つが元気の源になっています。
心から感謝いたします。
今や治療をしていない、いわゆる緩和ケアを受けている状態なのですが
毎日、笑顔を見せて、冗談も言い続けています。ここに来て、父と息子で、今まで聞かなかった話などもする機会が増えて、決して良いことだとは私の口からは言えませんが、
思いがけず大事な時間を、この病気から貰ってるな、と感じています。
とにかく、明るくしているのが、わが父ながら頼もしく、こうありたいと思わせてくれる姿です。
私とは真逆と言って良い、サラリーマン一筋に生きて来た、昭和の高度成長期の企業戦士です。
それが60を超えて、経営のことなど何も分かっていない、私のサポートとして、会社の運営に関わってくれました。
それまで芝居なんか、まったく縁のなかった人です。
たまに商業演劇なんか見る機会があっても、そこにテレビ的な有名人がいないと、まったく興味を示さないような、典型的なリーマンのオッサンでした。
それが扉座に関わり、若者たちが寝食を忘れて稽古に励む姿、少しづつ力を付けていって、活躍し始める姿、などを見守ってゆく中で、劇団員たちはもちろん、演劇そのものに対する愛着を持ち始めて
芝居を芝居として、大切にしながら、この劇団を何とか回して行こうじゃないかと、言ってくれる人になってゆきました。
先日、病室で二人で話していて、お前はテレビとかに安直に身を売らず、芝居一筋で生きたのが正解だったな、と言ってくれました。
正解かどうかは、極めて怪しいよ、と言い返しておきましたが、それは嬉しい言葉でした。
役者たちが次々にオヤジを見舞ってくれます。聞けば、私も知らない所で、ずいぶん飲ませたり食わせたりしてくれていたんだそうな。
愚痴っている者がいれば、励ましたり、アドバイスしたり。
何度も言うけど、芝居のことはほぼ分かっちゃいないんですけどね。
それでも、今は有名俳優となった、山中崇史が、久しぶりに飯田橋に父が現れたという噂を聞いて、駆け付けて来てくれて、話し相手をしてくれて、挙句、中央林間まで自分の車で送ってくれたなんて
そんな話を、息子は後で知るわけですが
父は、アイツがまだ劇団の使い走りだった頃、よく話してたんだよ、と懐かしげに語ってました。
劇団は確かに、わが父に支えられていたのだなあ、としみじみ噛みしめる次第です。
父の身体を蝕んでいるのは恐ろしい病気ですが、それでもまだ少し猶予をくれているようです。
もう立てない病人は、会う人ごとに、劇団を宜しくお願いしますと言ってくれます。
私が倒れるか、会社として倒産するか、それ以外は出来る所まで続けると、決意して一年になります。
この決断が早くて良かったと思います。
私は今、父とともに、皆様に頭を下げています。
会社勤めの経験のない息子と、リーマン一筋の父。
混じり合うはずのない、二つの人生が、ここで重なっていることを、幸福に感じています。
良い年にしなくては、と思います。