我が船はマストを一本失ったが……

 『告白する。人生で初めて、心の底から、国会前にデモに行かなくてはと思い始めた。』

 例の動画を見て、思わずTwitterにこう呟いた。
 政治的意図なんかない。この緊急時に政権交代なんかしてる場合じゃないのは分かってる。
 ただただ、この国を率いて行くべき人たちに目を覚まして欲しい。
 一番敏感でなくてはならないはずの人たちが、現状が分かっていなくて、近未来に対して何一つ想像できていない。そういう一大事だと思ったからだ。
 感染を恐れずに密集して、みんなで騒ぎたてるぐらいの荒行をしなきゃ、事の重大さが分からんのだ、あの鈍感な人たちは。
 それはイデオロギーもクソもない、文化がどうこうという高尚な志でもない、潰れかけた中小企業経営者のやむにやまれぬ怒りと焦りの叫びである。
 
 このツイートに、なんと2日間で一万以上の反応があった。10Kである。
 所謂、いいね、だけど、別に良いとは思ってなくて、今頃、おせーよ!みたいな批判もそこには含むので、単に反応と、こちらは冷静に受け止めておく。
 
 ちょっと異常だ。

 私が演劇のこととか必死に呟いても、こんなに反応があったことはない。せいぜい1K。
 それが10Kオーバーって。ツィートを見た人は今の時点で55万人。
 危険な状況だと思いませんか?

 たとえば片田舎の農夫が、たった一欠けらのパンに窮して、通りかかった貴族の馬車に石を投げたら、そこから一気に革命が始まったみたいな話を思い出す。
 そんな気配が明らかに私たちの国に漂っている。
 不安と怒りのエナジーは、ひたすら蓄積され、出口を持たず、ふつふつと膨らむばかり。そこに全くケアがない。カタチばかりで心がない。
 大爆発が起きるよ、このままじゃ。
 たった一個の石を投げた、その波紋の大きさに、投げた本人が驚いて、心配になってくる。
 
 オラはただ、芝居を続けてえだけなんだよぅ。

 さて、いかに危機なのか申し上げる。

 一つまた、重大なことを決めた。決めざるを得なかった。
 23年続けて来た、扉座研究所を今年は開かないことにした。
 すでに20人ほどの入所希望者と、研究生2年目が5人、予定なら昨日が開所式、顔合わせからの、歓迎パーティで、今日からレッスンの予定だった。
 入所料の払い込みも、ほぼ終わっていた。
 それをすべて返金することにした。

 稽古場はその料金で維持していたから、深刻な打撃である。
 しかし、いつ始められるか分からないこの状況。オンラインでの授業とかも検討したけれど、演劇のレッスンで出来ることには限りがある。
 そもそもそんな約束で集めていないから、それが長期に渡るのでは、参加者にあまりに申し訳ない。扉座は実践主義、仲間たちと切磋琢磨し、稽古場で汗と涙を流し、ぶつかりあい、励まし合い、LOVELOVELOVEという一世一代の晴れ舞台に立って、逞しき表現者に生まれ変わる。
 演劇通過儀礼の場であると、自認して来た。それが誇りだった。
 そこに全力で向かえないのなら、扉を開いてはいけない。
 今までやって来たことまでが、台無しになると思うのである。

 大学などは、オンラインで再開すると言ってるけど、それで済むのは、大卒と言う資格が所得出来る場所だからだ。
 俳優研究所は、実践的な経験を積ませ、俳優の技術を習得させなくては、何の意味もない場所である。
 
 加えて、この状況下、若者たちがどうやって生きて行くのかも、心配である。
 ここから数か月、彼らをバイトで雇ってくれる場所がどれほどあるんだろう。
 錦糸町近辺の居酒屋なども、軒並み閉店寸前だろう。
 芝居の修業は来年以降でもできるけど、まずは生きなくては。
 1年間のレッスン料は、彼らにとって大金だ。
 ここで返してあげる方が、良いとも思った。
 入所希望者のみんなにはお詫びのしようもない。
 せっかく新しい挑戦の覚悟を決めて、扉座に来てくれたのに、心から申し訳なく思う。
 でも、これが私たちの示せるギリギリの誠意なので、どうか理解して欲しいと願う。

 これにてまた我らの命は削られた。
 この損失は、経済的にも精神的にも計り知れないダメージである。
 卒業公演、LOVELOVELOVEのタスキもついに、途切れることになる。
 扉座にとって、LOVELOVELOVEは、大きなアイデンティティであったから、いわば帆船がマストを一本失ったようなものだ。
 我が船は推進力を大きく失った。
 感染の終息後に、復活を。
 そう口にするのは簡単だけど、正直に申して、今、楽観できる要素は微塵もない。
 この先もどう乗り越えればよいのか、途方に暮れる難題が次々と待ち受けている。

 マストを失った我が船は、さらに氷山の海に迷い込んでいる。
 一つ回避しても、また次の氷山が近づいてくる。
 この海を抜け出すことが出来るのだろうか。

 私だけではない。
 今、世界中で、それぞれの船の船長たちが、暗澹たる気分で、目の前の暗い海をみつめていることだろう。

 どこかに灯台が欲しい。

 今、その灯を灯すことこそ、政治を預かる人たちの仕事だと思うのだが。
 このくだり、語るほどに虚しくなるから、もう辞めるけど。

 しかし、まだ我が船に余力はある。
 今、毎日、必死にシミュレーションを繰り返して、生き延びる術を模索している。
 マストが一本折れても、まだマストはある。
 船員たちで漕ぐと言う奥の手も残してある。

 そして何よりも、
 大きな灯台の光ではないが、私たちを応援して下さる人たちが、灯してくれる明かりがこの目に届いている。

 昨夜の朝日新聞夕刊で、演劇担当の藤谷記者が、扉座公演中止のお知らせの中の一文を記事に引用してくれた。
 今、扉を閉めるのは、また開くためだ、という辺り。

 演劇界の危機を訴え、大事なものを失い続けている私たちの思いを代弁してくれている。
 演劇を皆で楽しむ、幸福の時が甦ることを願うと言う、演劇界への温かなメッセージだった。
 そういう声援がある限り、ギリギリまで諦めないで足掻いてみようと思う。
 石にかじりついても扉を開いて見せなくちゃと思う。
 私と劇団に思いを寄せて下さる、そして一緒に胸を痛め、心配して下さる皆さんの、その優しさにお応えするためにも。

 灯台は暗い。
 でも対岸にたくさんの小さな灯が見えている。

 心から、ありがとう。


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