「無謀漫遊記」 つかスタイルの俺流ドラマ

 処女作「山椒魚だぞ!」は十六歳の夏休みに書いて、たしか17歳になった10月辺りに上演したと記憶する。
 高校演劇の神奈川県・県央地区大会である。
 それから40年。56歳から57歳にかけ、誕生日をまたいで書いたものを、平成最後の10月27日に上演する。

 40年前と同じく、同級生の岡森諦と後輩の六角精児が出演する。
 しかも、処女作と同じように、つかこうへいスタイルで、ほぼ裸舞台で、BGMをバシバシかけて、言葉と肉体だけで勝負する舞台で。

 幻冬舎の見城徹社長の熱狂的なご声援を受けての幻冬舎プレゼンツ・シリーズは、ずっとつかこうへい原作でやって来た。見城さんが、つかさんの盟友であったことが大きな理由の一つである。
 ただ、今回はそんな節目であることと、40年を経て、今も尚、岡森、六角とともに芝居作りをしているという、何の運命なのか分からぬ因縁を踏まえて、どうしてもオリジナル作品を書き下したかった。
 それで見城さんにも、少しわがままを言って、その挑戦を認めて頂いた。

 まあ、今までのも、ほぼ横内のオリジナルみたいなものだしな、期待するよ。と言って下った。

 実際、扉座上演の「つか版忠臣蔵」「郵便屋さんちょっと」は、私がリライトした部分が大きくあるものである。
 とは言え、一から発想して書くのは、ずいぶん違う仕事になる。
 なにより、それでつまらなくなった、とは絶対に言われたくないから、プレッシャーも大きかった。

 しかし、こっちも四十年これだけやって来た男である。
 たいていの仕事は十年もやれば一人前扱いはされるものだろう。
 それを四十年なのである。
 そのキャリアをぶつけて何としても、傑作を書く!と心に銘じて、春先から構想だけは温めて来た。

 結局、水戸黄門を土台にはしたから、完全なるオリジナルとは言えないかもだけど、当然のこと、そのドラマは水戸黄門のそれとは似て非なるものであり、また、つか作品とも違うものだ。
 演出は、つか式と言うか、つかスタイルでやるので、印象は前2作と似てくるはずだし、それを狙うのだけど。描くドラマの肝は、かなり違う。

 そこがお客様にどう受け止められ、どう感じて貰えるか、期待と不安の入り混じるところではある。
 ただ、何せ、処女作がほぼ同じような手続きで出来上がり、それが面白いとおだてられて、この道を進むことになったのである。

 つかスタイルの俺流ドラマ は実は私の原点なのである。

 人生一回りは六十年と言うけれど、劇作人生、そんなに長くは続かないだろうから、さの三分の二ぐらいで、劇作還暦でいいんじゃないかな。
 
 還暦って、赤ちゃんに還るという意味で、赤いちゃんちゃんこを着るんだよな。

 そういえば、岡森、六角と今やってる稽古は、新作なのに、とても懐かしく、我々の演劇人生がスタートした頃の感覚に何か似ている気がする。


 もちろん単なるノスタルジーなんか狙っちゃいない。
 劇作還暦に相応しい大傑作に仕上げるつもりだ。

 ついでに言えば、つかスタイルの俺流、処女作は未だに、人々に語られることの多い傑作なのである。

 しかも縁深き厚木で初演し、その後に、我らの聖地・紀伊國屋ホールに乗り込む。
 これは劇作人生の総決算なのである。

 少しでも多くの人に見て頂きたい。
 

 
 

 
 

 

 


 
 
 

 
 
 
 

 
 
 








未来に期待する

 生まれて初めての ふぐ は声優の神谷明さんに奢って頂いた。もう30年以上前の話。

 神谷さんがその頃、演劇誌テアトロに掲載された私の初期戯曲を読んでくれて、興味を持ってくださり、連絡を下さったのだ。 六角を主役にしていた ツトムシリーズの『まほうつかいのでし』てやつ。
 その後、更に初期の作品『優しいと言えば僕らはいつもわかりあえた』を、お仲間を集って上演して下さり、そこに岡森も出演させて頂いたりして、以来、私と劇団を贔屓にし、熱い応援をして下さった。正式な劇団後援会会長である。

 で、ある日。横内君、何か食べたいものあったら言いいなよ、食べに行こう。とお誘い下さつた。当時、まだふぐというものを食べたことのなかった私は、ふぐって、食べてみたいっす。と遠慮なくおねだりしたのだった。

 その時の、ひれ酒の香ばしい香りは今も鼻の奥の記憶に残る。

 この時に限らず、神谷さんには、劇団ぐるみで何度もご馳走になった。20人の宴席ぐるっとゴチになったりして。さすがに我々も恐縮はしていたのであるが、ペコペコする我々に神谷さんはこうおっしゃった。

 いいんだよ、僕もそうだったから。先輩たちにいつも奢って貰って来た。先輩にお返しする代わりに君たちに返してる。だから君たちもいつか、後に続く人たちに奢ってあげればいい。そういう時はきっと来るから。

 今も心に刻み付けている。

 そんな神谷さんには、今回『リボンの騎士』の横内ナイトという日の終演後、アフタートークでご登壇いただくことになった。同じく声優の重鎮の伊倉一恵さんと一緒なので、いかにも『映画版シティハンター リメイク』の便乗企画のようだけど、伊倉さんは『歓喜の歌』のボランティアコーラスにも参加して下さったぐらい、扉座を愛して下さっている方で、単なる便乗ではないのである。

 それはともかく。

 その後、若者に期待しない時代が続いたと思う。
 大きな原因は景気が悪かったことだ。
 そして大人たちが意地汚くなり、若者を排除して利をむさぼろうとしてきた。他人事ではなく、私も自分たちのことで精いっぱいで、後進を育てる云々なんてことの出来る余裕がなかった。

 そんな若造に回すぐらいなら、俺がやる。

 といって、場を奪っことさえあると思う。
 おはずかしい。
 
 思えば、私が若者だった頃はバブル前夜から、全盛期で。
 余った金があった。神谷さんはその頃、すでにスターだったから話は違うかもだけど。スターでもないサラリーマンでも接待費が使い放題だったりして、劇団の広告ぐらい十万円ぐらいならいつでも出せるよ、なんていう営業さんとかザラにいた。

 私が初めて戯曲執筆の依頼を受けたのは 旧セゾン劇場 である。当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった西武グループの文化戦略の柱だった。そのオーナーの堤さんが、この新しい劇場では 徹底的に新たなモノに挑む。出来上がった大作家なんかに依頼するな。外れても構わないから、これからの新鋭に期待して、場を与えよ、と号令をかけていた。(このセゾン劇場が、今もお付き合いのある手塚プロとかフジテレビの方々に繋いでくれた)

 だからこそ、私のような新人にそんな大役も回って来たのだった。そして一人前扱いをして下さった。
 一流ホテルのスゥイートルームで、演出家と合い、ルームサービスを取りつつ、ホンの打ち合わせをした。それは『きらら浮世伝』という作品。
 
 先に言った演劇誌テアトロも随分肩入れしてくれた。当時編集者だった小松幹男さんが、私の作品をとても気に入ってくれて、

 とにかく書いたら持ってきて。しばらく載せ続けるから。

 なんて言ってくれて、本当に二年間ほど、書く度に掲載してくれた。その恩も忘れられない。

 厚木では、厚木高校の先輩たちを中心に、文化会館での扉座公演の支援をする市民応援団を立ち上げて頂いた。
 行政や大企業に頼り切らない文化活動やろうぜ、と仲間集めをしてくれて、それがもう二十年近く続いている。その間に、市や文化会館も大きな力となってくれて、
 子供たちの演劇塾『あつぎ舞台アカデミー』もスタートしてもう7年になる。(今回の リボンの騎士 に大役で出演する 加藤萌明 はこのアカデミーに小6から通っていた)

 少なくとも私とこの劇団はたくさんの立派な大人たちに、期待をかけて貰って、場を与えて貰って来たのだ。そしてたぶん、幾つかの大失敗や、無礼無作法に目をつぶって貰って来た。

 それやこれやを思うと、いつまでも時代や景気のせいにしてる場合ではないと思ったんだな。そろそろ本気で、素晴らしい大人たちから貰ったチカラを、次世代につなぐこともしていかきゃ、と。

 多少、無理すりゃチェーン店のふぐぐらい奢れるぐらいにはなったけど、それ以上に、
『若者たちに期待する』というその精神をね。継承しなくちゃね、と。

 未経験な若者たちって、本当に何も知らなくて、危なっかしくて。
 こいつらバカじゃないかと思うことも多々あるんだけど。
 その頃の自分の姿は見えてないからな。その時の大人たちに言わせれば、きっと、お前もその程度だったぞ、ということだろうしな。

 何しろ景気が悪いからね。加えて、これは自分が歳とって分かるんだけど、
 歳とった、本人は、驚くほどその自覚がないんだな。まだ出来る、まだ可能性があるとか思って、ジジイ、ババアをやってる。

 そんなジジイやババアを倒して、のし上がれ!という言葉はある意味若者への叱咤激励として正しいけど、権力や金や名のある大人たちが、そんなこと言って若者を潰しちゃいけない。そういうみっともないジジイやババアもたくさん見て来たから、他山の石としなければと、私は自分に言い聞かせますよ。

 とまあ、そんな気持ちで今回の、チョーーーーーー若返り扉座公演
 『リボンの騎士 県立鷲尾高校演劇部奮闘記』に取り組んでいます。

 時々、腹立たしいほど、下手くそめ、とか思うんだけど。
 自分だって、どこかで人をイラつかせて、ハラハラさせて、チャンスを授けて貰ってきたんだから。その未熟さこそが、可能性なんだと信じて、これが未来に繋がる、と期待をかけ続けるんだと、己に言い聞かせて稽古しました。
 
 この土日、立派な大人たちに支えられて、厚木市文化会館にて開幕。その後、座高円寺で20日から7月1日まで上演します、幸せなことに、若者に期待する立派なお客様方のご声援で、売り切れ日が出ています。ご予約はお早目に!!!

 
 
 


 

 

 
 

 

 
 
 
 

 


 



 

 


 
 

 

 
 


 



 







#ワンピース歌舞伎 愛してくれてありがとう

 スーパー歌舞伎Ⅱ ワンピース が三年八か月の長旅を終えた。

 今日は 扉座の稽古 #リボンの騎士 を休んで、日帰りで名古屋御園座へ。
 大千穐楽を見届けた。ついでにカーテンコールで、舞台にあげていただいた。

 御園座を埋めつくしたお客様方が、皆、立ちあがって、流れる涙を拭おうともせず、猿之助さんのラストメッセージの一言一言に深く頷いておられる姿を、舞台の上から見ていて、更に胸が熱くなった。浮かぶ言葉は。

 愛してくれて、ありがとう  byポートガス・エース

 今日客席にいると、開演前からすでに大勢の方が泣いておられた。
 私をみつけて、話しかけてくれる。

 寂しいです、寂しいです……

 この大航海、いろんなことがあったから、今回無事に終えられて、むしろ安堵感が強かった私なのだが、そんな思いの数々に触れているうちに、おセンチになり、最後には皆さんとともに大きな寂しさを噛みしめて、晴れの舞台に立たせて頂きました。
 
 猿之助さんは、相変わらずクールだったけどね。
 これにて、ワンピース・チームは解散。
 明日から、それぞれに違う冒険に旅立ちます。と。

 そして、左腕に残る傷跡を見る度に、僕は一生、この舞台のことを思い出して生きていきます、と。

 安易に、またいつか、なんて口にしない。
 でも、それがきっと彼の矜持。
 一期一会の覚悟だと思う。

 隣で聞いていて、初期の起ち上げの頃のことを思い出していた。
 3年半前ぐらいの、この日記のどこかにそれは残ってる。

 稽古に突入する前の夏の頃。銀座を歩いた夜の帰り道。
 さすがに大きすぎる規模と、クリアすべき課題の多さにちょっとビビッて、
 「大丈夫かね、コレ」と言ったら
 「なるようにしかなりませんよ」と涼しげに返してくれた、その横顔。

 大きな不安と小さな期待で船出した、と本人も今日語ってくれた、あの頃のこと。
 それを思えば、こんな寂しさを感じられることが、そもそも至福としかいいようがないのである。
 こんなに愛して貰えるなんて、あの頃は、とても想像できなかったんだから。

 すべてはスタッフ、キャスト、お客様方のお陰です。
 心から皆様に感謝申し上げます。
 そして、また明日から、猿之助さんの言葉通り、私は私の冒険に向かいます。

 まずは #扉座公演『リボンの騎士 県立鷲尾高校演劇部奮闘記』
 6月16日、17日 厚木市文化会館
 6月20日~7月1日 座高円寺
 
 この記事の視聴率が高いことを想定し、一応、宣伝入れておきます。
「劇団も見に行きますね」
 そういうお言葉をたくさん頂いたので。

 これだけの盛り上がり、打ち上げはさぞスゴイことになるんだろう、と思うでしょ?
 なーんにもナシなのである。
 今日の幕が下りた途端に、ほんとうにすべて終わり。
 皆、それぞれに次の場所に散っていった。
 各自の心に、やり終えた高揚感を抱いてね。
 
 繰り返される乾杯も楽しいが、こういうのもプロっぽくていいもんだ。
 殺し屋たちの仕事の終わりみたいでな。


 ちょっとだけ自慢させておくれ。
 老後の自分の為に書き残したくなった。

 俺はピラミッドを見たことがない。万里の長城も、エッフェル塔も、アフリカの夕陽も、北欧のオーロラも、地中海も、ガンジスも、アラビアの砂漠も知らない。
 若い頃は金がなく、長じては暇がなく、
 ろくな旅、観光をしてこなかった。
 でもな。
 自分の作った舞台を見る。
 しかもその舞台を見てくれる人たちが喜んでくれている、
 その光景に勝るものは、俺にとってきっと存在しない。
 たとえ宇宙に行って、青い地球を見ても、俺はたぶん、自分の舞台を見ている時ほど幸福を感じないだろう。
 それはなにも、ワンピース歌舞伎のような大作だからではなく、扉座の公演でも、厚木の子供たちの舞台でも、横浜の若者たちとのクリエイトでも、等しく変わらず。
 宇宙を見て得たインスピレーションが、物語となり、俳優たちの語るセリフとなり、厚木とか、高円寺とか、名古屋御園座とかの舞台の上に結実して、初めて俺は宇宙を見たと思うんだろう。

 そろそろ天命と認めろよ、と自分に言ってみる。

 感謝の夜に。
 
 
 
 
 
 

 
 

 

 


 


2018年 4月1日

  昨年10月、上演中の事故で大怪我を負った猿之助さんが、ワンピースの舞台に帰って来た。
 セリの内部装置に、衣裳の裾を持っていかれて、巻き込まれ、一部開放骨折を含む左腕全9か所の骨折。
 歌舞伎役者がそれも、踊りの名手が、大事な腕を負傷した。

 まだ完治じゃないと言うけどね。
 猿之助ルフィが帰って来たよ。
 
 そこそこ長く生きて来て、演劇生活もずいぶんになって、個人的にいろんな記念日がすでにあるんだけど、
 生涯忘れられない日になった。

  ここに至るまで、打ち合わせでも稽古でも、ご本人はずっと陽気にしてて、ピリピリしたところは見せなかった。
 半袖Tシャツで稽古して、まだ残るたくさんの傷跡を隠そうともせず。
 実はまだリハビリも続いているそうなたんだけど。
 エイプリルフールだから、囲み取材に無事だった右手を吊って登場して、ついにこっちもやっちゃいましたとか言おうか、なんてゲラゲラ笑ってて。
 
 そんな感じだったもんだから、何だか普通の再演のような雰囲気で最後の舞台稽古まで終えてしまったけど、いよいよ初日という時に、全員集合した時に、
 突然、そうなんだ、今日は特別な日なんだと、突然スイッチが入った気がした。

 猿之助さんは、それでも平然としてたけどな。
 僕のことで話題になるのは仕方ないけど、舞台の力でお客を呼ぼうよ、と言ってね。

 それでもその時、たぶん劇場の外に集まってくれてた、待ちきれないお客さんたちの気が、中にまで入って来たんだろう。
 みんなみんな、この日を待っていたんだ。
 心の底から。
 もちろん、我々一座の者たちも。
 ただ、それを無事に迎えるために、過度な思い入れや、感情を殺してここまできた。

 その封印が開幕と共に、一気に噴き出したな。

 客席も舞台上も。
 猿之助さんは、どんなに熱い拍手を浴びても、あくまでも長い公演のうちの一回、という姿勢や雰囲気をなかなか崩さなかったけど。

 稽古中は「お陰で、ほぼ治った!」とか「まだ一部、ひっついてません!」とか笑えない冗談で叫んでいた、二幕ニューカマーランドでの、ルフィ復活のシーンで、ついについに
 「お陰で治った!」と叫んでくれて。
 それを迎える、百鬼夜行のこしらえの、とうてい真面目にやってるようには見えないメイクのニューカマーたちが、溢れ出す涙でグジャグシャの顔になりつつオカマ声の歓声で応えた時。

 舞台も客席も感情が崩壊し、芝居が一瞬止まり、さすがのクール猿之助の顔も白塗りの下で紅潮したように見えたのは、俺だけではないと思う。

 今回改めて稽古して気付いたが、
 #ワンピース歌舞伎 は手の物語である。
 手が伸びる海賊の話で、手が伸びるダンスはあるし、
 ゆずの歌う主題歌のタイトルは 手と手=『TETOTE』だし。

 その芝居で、
 尾田栄一郎先生もパンフレットにそういうことを書いておられるけど、虚構と現実が混然とし、不思議な運命みたいなものを感じずにはいられないのである。
 なんでよりによって、手の大怪我なんだ。
 芝居の間中、ずっと我々は 手のことを思わぬわけにはいかないんだ。
 そして、その手がひとつなぎにつながれて、TETOTE の祭りになる。
 ひとつに合わされて祈りになる。

 そしてもうひとつ、#ワンピース歌舞伎 は傷ついた超人が、自力ではかなわぬ時に、助けてくれる支えてくれる他者=仲間たちの存在の大きさを噛みしめる物語である。
 ルフィもエースも白髭のオヤジも、他人の力を宛にしないスバ抜けた、常ならぬ人だけど、この物語では仲間たちに深く深く感謝する人たちとなる。

 これは猿之助さんがパンフレットに書いていて、
 終幕近くの、ジンベエ親分に、ないものはないんだから、あるものを思い出せ!と言われて絞り出されるルフィのセリフ
 「仲間がいるよ~」
 を今回は心から叫びたいと言う、まさにそのシーンで、
 2018年、4月1日 たぶん午後8時35分ごろだな。
 その言葉が松竹座に響いた時、

 その瞬間は、永遠になった、という気がした。
 本当は、伝説になった、とも言いたいけど。それは後の世の人たちが決めることだろうから、ここでは個人的な思いに止めとく。

 それは尾田先生がマンガの中で書かれた言葉である。或いは舞台作品という虚構の中のセリフである。
 しかし、この時、たった一言のこの言葉は、我々の心と肉体に染み入り、現実の人生に深く深く刻みこまれて、二度と消えることのない真実になった。

 大げさではなく、本当にそんな気がしたんだ、この時に。

 奇跡なんて単語でくくるのは申し訳ないほど、まずはご本人が大きな痛みに耐えて、歯を食いしばってリハビリに努めたはずだ。そしてこの事故に対する責任という意味で、私を含めて多くの人が、重い反省と後悔を噛みしめることになった。
 もしかしたら、こんな時は二度と来なくて。
 ただただ悲しみの出来事としてのみ、人々に記憶される可能性だってあったんだ。

 でもそれを、こんな喜びに変えてくれた、猿之助さん。そしてそれを支えてくれた多くの人たちに、どれほど感謝してもし足りない。
 エンポリオ・イワンコフ様は、奇跡は諦めない奴の下にしか起こらない、と仰せだが、

 大きな努力と、多くの人の祈りの上に、たぶんほんの少しの幸運が重なったのだろうな。
 その幸運を奇跡というなら、この奇跡に出会えた者として、
 それらの感謝の思いを、今、私たちがやっていることにしっかりと込めて、仕事をしてゆこうと思う。

 諸君、この世界では、いろんなことが起こるものだよ。
 そして悲しみと喜びは、本当に表裏一体だ。まるで演劇のようにね。

 そして、そのどちらもが、私たちに人生の意味を教えてくれる。

 辛くなったら、私は2018年4月1日を思い出すことにする。

                         大阪にて
 
 
 

 

 
 
 

 
 

 

 
 
 

 

 

 

 
 

 
 
 
 









ルフィ 復活へ #ワンピース歌舞伎 そして二つのランド!

 3月19日『声だけ天使』の全10話配信が終わり。(熱いご声援をありがとうこざいました。でもまだ1話から、AbemaTV で無料で視聴可能です。)

 その前の3月10日 サンリオ・ピューロランド内のメルヘンシアターの新作『KAWAII KABUKI』がロングランをスタートさせ、

 今は、4月大阪松竹座、5月名古屋御園座での スーパー歌舞伎Ⅱ『ワンピース』の為の稽古の日々。

 去年の10月、あの辛い事故があった『ワンピース』。そのワンピースの舞台に、猿之助さんが帰って来る。しかも、単なる復活公演にせず、またまた、アッと驚く新演出投入がある。
 ニューカマーランドに、別バージョン、イワンコフが降臨する。ここまでの稽古は、ほぼその新バージョン、クリエイトの日々だった。でもそろそろ、一味も再結集して通し稽古を始めるところである。

 どんな時も留まることしない猿之助さん。嬉々として新演出に取り組む姿は極めて頼もしい。でもね、
 あの大怪我から、間もなくルフィとして戻って来てくれる。
 その姿が見られる喜びが、すでに稽古場に溢れている。
 今度こそ、ずっと皆が笑顔でいられる公演にしたい。

 さて、笑顔と言えばピューロランドである。
 『みんなを笑顔に!』がキティちゃんのスローガンで、今回作った40分ほどの舞台でも、それがメインメッセージなんだけど。
 
 残念ながら笑顔は、笑顔だけで作れるものじゃないよね。
 その陰や、裏側には、汗や涙もたくさんあるものだ。
 新作は、存外うまく仕上がって、(スタッフが素晴らしいの。メインスタッフは皆さん一流で、劇場の裏方さんたちの意識と意欲もとても高い。何しろ、歌舞伎の技術を習い覚えるとこから始めて、リアルに習得しましたからね)すでに連日数回上演されて。いろんな感想がネットにもあがってて、それが結構、好評みたい。※今、半分ニューカマーの住人なので言葉使いが少し変ね。

 でもまあ、当然ながら、ここに至るには、困難も多々あったわけ。
 ヴァターシとしても投げ出したくなりそうな時も、ありました。普段の演劇現場とは、文化やしきたりもアレコレ違うし。

 しかし、それを思いとどまり、狭量な己を恥じて、いやいや、何とかしてコレを創り上げよう、やらねばならぬ、と頑張り続けることが出来たのは……
 ココちょっとデリケートな部分なんだけど。
 
 出演者諸君が見せてくれた圧倒的努力の姿勢であった。

 ピューロのダンサーたちは素晴らしいと、ラッキイ池田さんからすでに聞いていたけど、噂に違わぬレベルであり、その上に、実に真摯に仕事に向かうプロたちであった。テーマパークダンサーという人たちと初めて仕事したけれど、みんながそこに誇りを持っているのもステキだったな。自分たちの仕事を愛してるって、尊いことだ。

 それを愛すると言うことで、更に私が胸打たれ、ああ、もうこの人たちの為に俺は全力を使い果たさなきゃ舞台人として失格だ、と思わせてくれたのは、キティさんやバツ丸さん、ダニエルさん、プリンさん、シナモンさんたちの、仕事ぶりである。
 この固有名詞、ナンノコッチャと分からぬ人たちもいるであろうな。半年前の私もそうだったよ。

 でも今は、みんなを愛している。

 多くの人たちを笑顔にし、幸せにするために、表舞台からは見えないところで、キティさんたちがどれほど努力を重ね、汗を流し、研鑽を積んでいるか、数か月間近で見てしまったからね。
 人を笑顔にするのは、大変なんだよ、ホントに。たった40分だけど、一回終わると確実に痩せてるからな。

 そして彼らは実に高度な表現力、演技力を持っている。
 ダンスはするし、殺陣もこなすし、今回は歌舞伎の所作もすべて覚えたんだから。ポテンシャルがハンパないんだ。
 のみならず、皆、芝居に心を籠めている。
 ここ、とても大事ね。
 あんな顔して、表面的なカタチだけじゃないんだよ、キティさんたちが追求してる境地は。世阿弥のように、この分野での演技の奥義を掴もうと真剣に取り組んで、試行錯誤を繰り返してな。
 稽古場でも、リアルに涙を流して、演じている。
 
 いい役者たちだよ、と演出家として断言しときます。

 疑う人は騙されたと思ってその舞台を見てみてくれ。良い芝居してるから。

 とはいえ、これほどの名演技を毎日してても、劇評ひとつ出るわけでもないし、彼らの技や演技を、しかるべき目利きが褒めることなんてこともないわけだ。彼らを愛することはあってもね。その努力までは見ちゃくれないし、評価もしない。
 しかし彼らはそんなことに目もくれず、ただただ、彼らの劇場に座るお客さんたちを笑顔にさせようと汗だくになるだけ。
 でも、そこに、大きな喜びと誇りを見出している、一流のエンターテナーたち。

 彼らと出会い、仕事をさせて貰って、大袈裟ではなく、私は芝居とは何だろうと、もう一度考え直しましたよ。
 ちょうど最近
 「グレイテスト ショーマン」て映画を観て、それが見世物小屋で成り上がった男のストーリーで。
 いろんなところが重なりまくっててね。
 思うことアレコレだった。
 
 映画の最後に 「真の芸術とは……」という言葉が出て来て。
 これから見る人たちの為に、敢えて続きは記さないけど。
 私が尊敬してやまないアーティストである、キティ一座の皆さんに、その言葉を捧げたいなと思いました。

 そしてそのピューロランドの精神は
 ニューカマーランドにも通じてゆくのであります。